与那国島から台湾までは最短で111キロ。西崎から夕陽を望む
=2010年2月23日、松田良孝撮影
台湾のいわゆる「白色テロ」についてお話をうかがうたびに思うのは、民主主義の成り立ちには、その土地それぞれの記憶が深くかかわっているということです。同じ選挙といっても、たとえば、間もなく開票が始まる沖縄県知事選(2018年9月30日開票)と、11月に台湾各地で予定されている選挙とでは、その選挙をめぐる風景や言葉はまったく違うものです。
nippon.comにアップされた「白色テロ」に関する拙稿では、重要なポイントのひとつとして与那国島を取り上げました。与那国島にとって戦後の民主主義が始まったスタートラインをどこに引くかは諸説あると思われますが、1948年に行われた普通選挙による町議選を挙げることができます。この選挙で選ばれた町議たちは、議会のなかでいわゆる「密貿易」の取り扱いについて議論を行ったといいます。許可を受けずに行われている私貿易をいかにして取り締まるかという議論を行ったのではなく、受け入れるべきかいなかをめぐる議論です。
土地の記憶に照らす
法に照らすことはもちろん必須ですが、与那国という土地に刻まれてきた記憶に照らしてみるというのも方法としてはアリなのではないか。
当時を知る人たちからお話をうかがっていて、そう思ったものでした。正しさの判断は、時代や政治、土地などによって異なるものです。この考えは今も私の中にあり、幾度となく頭をもたげます。大切なのは、後世の人たちがその時々の判断を振り返ることができるように整えておくこと。台湾の国家人権博物館は、台湾の人権状況を「白色テロ」をキーワードに一つひとつ確かめられるように用意をしておくための場になっていくのだと思う。