石垣市と蘇澳鎮
「国際交流」とは耳触りのいい言葉だが、続けていくのは大変だ。その意味で、石垣市と台湾宜蘭県の蘇澳鎮が姉妹都市締結から20周年を迎え、両地で交流行事が行われたことにはまずは敬意を表すべきだ。
蘇澳は、11月13日の記事で取り上げた南方澳がある街である。1982(昭和57)年6月25日に八重山青年会議所(JC)が蘇澳側とJC間の提携を結び、その13年後の1995年9月27日に自治体の締結が行われた。今年は9月に蘇澳で、11月には石垣でそれぞれ式典などの交流行事があり、石垣市内にある新栄公園では記念碑が建立された。
与那国は先輩格
台湾との自治体間交流という点では、八重山には先輩格がいる。1982年から花蓮市の姉妹都市交流を続けている与那国町である。5年ごとに町民の訪問団が花蓮に行き、先方の人たちと食べたり、飲んだりといったことを続けている。
筆者はかつて、そのような交流にはあまり意味がないのではないかと疑問に思っていたこともあるが、最近は考えを改めている。どのような形であれ、続けることが大事なのではないか。
実際、こうした土台ができていたおかげで、与那国島からは、小学生が花蓮市近くの学校でホームステイを体験したり、中学生が修学旅行で花蓮など台湾を訪れたりといったことが行われるようになっている。
理念をどう形にするか
石垣市と蘇澳鎮の20周年では市長と鎮長が覚書を交わし、農林水産業と教育、観光の交流を促進することで合意したと伝えられている。両地を直接結ぶ交通手段が確保されていないなかで、すぐに何がしかの成果が現れるとは考えにくい。ただ、クロマグロの漁獲の在り方をなどめぐって石垣と蘇澳の漁業者がなかなか折り合えずにいるなかで、ひとつの理念をうたいあげたという意味は少なくない。
「末永く交流する」と言うと、手あかの付いた感が否めないが、うたい文句のようなこのフレーズをお題目で終わらせないことが大切だ。人と人の交わりを続け、教育の分野でも往来の切り口を開いた与那国町に学ぶべき点は少なくない。