台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

与那国の人が台湾にヒノキの山を持っていた

レトロな風合い

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 バラやボタンを思わせる花が、円や正方形、楕円、さまざまに曲がる弧などを組み合わせた線対称の図形に描き込まれている。撮影時間はそう長くないのに、レトロな風合いについ引き込まれ、もう一枚、こっちでも一枚と、レンズを向けたくなる。

タイルをあしらったヒンプン

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 花模様のタイルをあしらったヒンプンと塀が与那国島祖納の民家に残されています。日本が台湾を植民地統治していたころ、台湾北部にヒノキの山を持っていたという「岸本」なる人物が出身地祖納に家を建て、いわばその装飾としてタイルを使ったヒンプンと塀を造ったというのです。

ヒノキと与那国

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 台湾は言わずと知れたヒノキの産地。日本は台湾を植民地統治していたころ、ヒノキを台湾から与那国に持ってきた家を建てたという話を聞くこともあります。久部良出身のOさん(故人)は台湾で漁船に乗って働き、まとまった金が貯まったため、台湾からヒノキを取り寄せて実家の家を新築しようとしたことがあるとおっしゃっていたことがあります。(実現には至らず)

 私の中では、台湾とヒノキは大変近しい間柄にありましたが、ヒノキの山を台湾に持っているような方がいたとは想像さえしたことがありませんでした。

かつては通り沿いにも

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  「ヒノキの山」と「タイル」の件を知ったのは2015年10月。その晩、私は与那国で台湾とのかかわりについておしゃべりする機会があり、島の長老のお一人からこのお宅のことをうかがったのです。

 そのお宅には現在、Mさんご一家(「岸本」なる人物のご関係は不明)が暮らしており、おしゃべりの翌朝、私は午前7時すぎにM夫人が営む商店を訪ねたのでした。島の朝は早く、その時間でも店は開いています。私はタイル付きのヒンプンと塀があることを確認すると、立ち入りの許可もいただいてさっそくご自宅へ。午前9時25分発の飛行機に乗らなければならず、時間に余裕のない中でしたが、ご協力いただいたおかげで、無事にカメラで記録することができたというわけです。

 Mさん宅のヒンプンは階段状になっており、今は植木鉢やプランター置き場として使われています。

 塀は膝までの高さもない低めの設計で、母屋の東側にある庭を囲むように続いています。中央付近には大ぶりの石を彫り込んで水を貯めた池があるのですが、これは大和風の庭を意識したアクセントなのでしょうか。

 ヒンプンは、屋敷の入口をふさぐような通常通りの建て方になっているので、通りからも目に入りますが、低い塀は母屋に近付いてみて初めて分かるような場所にあります。M夫人のお話では、もともとは路地沿いにも続いていたとのことですが、道路拡張のために壊さざるを得なくなったそうです。