那覇に菊元を思う
那覇市歴史博物館で「『昭和のなは』復元模型」を見ていて、日本が統治していたころに台北でオープンした菊元百貨店のことを思い出した。
戦前の昭和期、那覇も台湾もどちらも訪ねたことがあるという与那国島の女性からお話をうかがっていて、菊元百貨店がどんなにすごいものか聞かされたときのことだ。この女性は菊元にエレベータがあったことを挙げ、「初めてエレベータで昇って降りた」と懐かしそうに話し、返す刀で、とばかりに「那覇に行ったら、二階建てしかなかった。山形屋の二階建て」とおっしゃったのである。
山形屋と同世代
那覇に山形屋沖縄支店がオープンしたのは1930年5月で、その2年半後に当たる1932年11月に菊元がオープンしている。ほぼ同世代の2つのデパートだが、菊元が開店当初から台湾で初めて商用エレーベータを備えた建物としての歴史を刻み始めたのとは対照的に、山形屋沖縄支店はオープンから7年後の1937年にエレベータ付きの地上7階ての新館を構想したものの、建築資材を確保するめどが立たずに見送られたという歴史がある。百貨店も戦時色の強まりとは無関係ではいられなかったということであろう。
「語り」が結ぶ
那覇市歴史博物館の「『昭和のなは』復元模型」で山形屋沖縄支店を探すと、向かい合った雑貨店「明視堂」とともに路面電車を通り過ぎさせている2階建ての百貨店が見つかった。よく見ると、入り口の両側には「本場岐阜提灯」「夏衣大賈出し」などと書かれていて、作りの丁寧な模型だと分かる。
菊元も当時の山形屋沖縄支店もすでに過去のものである。それでも、植民地台湾を知るドゥナントゥ(与那国人)が2つの百貨店のつなぎ方のコツを伝授してくださったおかげで、昭和の那覇に植民地台湾を思い起こすことができるのだ。