「九份のようだ」
呉念真のエッセー「另一個九份」がいつ書かれたかははっきりしないが、侯硐がネコ村として名を馳せる前であることは間違いない。エッセーは「侯硐は十数年前の九份のようだ」と綴られ、閉山から十数年たった九份が「大勢の人によって名を知られるようになり、今は有名な観光地になった」と述べているからである。
かといって、呉念真は侯硐が九份のようになることを望んでいるかというと、そこは一概には言えない。呉念真はこうも書いているのだ。
呉念真の目に映るネコ村
「侯硐を前にすると、私の気持ちは複雑だ。このような(閉山後の)もの悲しさがそのまま記憶の一部として刻まれるべきなのか、それとも、侯硐が観光地としてもう一つの九份となったほうがいいのか、それは分からない」
呉念真が「ネコ村」となった侯硐にどのように見ているのかは、私は知らないが、侯硐のあちこちに感じる人々の生活の跡に、また、今もそこに暮らす人たちに呉念真は温かい眼差しを向けていることだろう。「無言的山丘」や、呉自身が監督した「多桑」(1994年)で見せた人への寄り添い方からして、私にはそう思える。
※「另一個九份」は呉念真(2002)「台湾念真情」(麥田出版,台北)。本稿執筆には2014年2月発行の第2版18刷を使用した。原文は中国語で、本稿では拙訳を用いた。