獅球嶺から港を一望
私が基隆に行ったのは最近では2015年4月のことだが、そのときはちょうど、新しい駅舎が姿を現しつつあった。台湾での報道によると、この新しい駅は2015年6月29日にすでに使用が開始されているそうだ。次回の訪問が楽しみである。
基隆は、台北から車や列車で、1時間ほどで行ける。
基隆を訪れる機会があったなら、滞在時間が短くても、基隆駅に近い基隆廟口夜市だけでも散策したいものだが、たとえば、午前中いっぱいは基隆にいられるというのであれば、獅球嶺と和平島に足を伸ばしてみたい。
獅球嶺は基隆の南側にある標高150メートルほどの丘。山を背に基隆のまちを見渡せることからかつては砲台が築かれていた。今では絶景スポット。基隆駅からタクシーに15分ほど乗って獅球嶺下の駐車場まで行き、そこから散策路をゆっくり上がれば、10分もかからずに眺めのいい場所に出る。
嵩本(たけもと)さん一家が過ごしていた日本統治期の基隆とはもちろん違う風景である。しかし、そうであったとしても、三方を山に囲まれた、いかにも港らしい光景は必見である。台湾人の一群がノルディックウオーキングで上がってきたりもする。
沖縄漁民の島
もう一方の和平島は、日本統治期には社寮(しゃりょう)島と呼ばれた小島で、獅球嶺からも遠望することができる。この島は、日本統治期に沖縄からやってきた漁民が暮らしていたことで知られ、台湾で沖縄のことを考えるうえで絶対に外せない。
もっとも、沖縄に関心がなくったって、捕れたての海産物をすぐ近くの食堂で料理して食べることができるのだから、行ってみなければならない島なのだ。
凋落?平均?
石垣市新川(あらかわ)出身の嵩本安意(あんい)さんが生まれる2年前、1935年の基隆には8万7400人が暮らしていた。台湾の主要都市では、すでに百万都市になっていた台北が最大で、これに次ぐのが台南の11万2142人。基隆は堂々の第3位であった。同じく港湾都市の高雄が8万6848人で、第4位に付けている。
現在はどうか。
2015年10月の統計でみると、基隆は37万2355人で第8位。台湾では、日本の市区町村に当たる市や郷、鎮の合併が進んでいることから、単純な比較はできないが、人口規模から見ると、基隆の凋落傾向は否めない。
ただ、基隆にとって悪くない数字もある。
2015年の人口を1935年の人口と比べると、基隆は4.26倍で、台湾全体の4.49倍に近い。基隆の人口は、台湾のなかで平均的な伸びを示しているとも言いうるのだ。
次を読む↓