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台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

台湾石垣-行きつ戻りつ 嵩本安意さん(4)

第1回はこちら。

ゆかりの地でアート

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 もともと芸術を語る言葉など持っていない私に、アートに触れるきっかけを与えてくれたのは台湾だと思っている。石垣島など八重山の人たちとゆかりのある場所を歩いてみると、そこがアートやデザインとかかわりの深い場所になっていることが少なくなく、せっかくだからついでに見てみるようになっていったからである。

校舎が現代芸術の拠点に

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 その代表的な場所に台北当代芸術館がある。台北駅の北側に位置するこの美術館は現代美術をテーマにしており、7月に訪れたときは、韓国の美術家、イ・スギョンの個展「私があなただったとき」が開かれていた。白く輝く造形の前で、祈るように両手を広げる真っ白な人の姿が階段のそばの暗がりに浮かび上がり、美術館の構造そのものをアートに取り込んでしまったかのようである。

「わが軍に損害なし」

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 私が台北当代芸術館に足を運ぶのはこの時が4度目である。芸術に関心があるわけでもない私がなぜここに来るのか。それは、この建物が日本統治期に建成小学校(1941年度からは建成国民学校という学校の校舎であり、そこには八重山から台北に移住してきた人も通っていたからである。

 嵩本安意(たけもと・あんい)さんは1944年4月に建成国民学校入学した。朝礼ではまず朝の30分間ほどを費やして、戦争の講話が行われた。安意さんら子どもたちは「日本は勝っている」と聞かされるわけである。

 自宅のそばにはラジオを持っている人がいて、母、伸さんの言いつけで毎日のようにニュースを聞きにいった。「ニュースの最後は『わが軍に損害なし』で終わるんです。国民の戦争意識を高めるためだったんでしょうな」と安意さん。

陰膳を供える

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 郵便局員だった父、正宜(せいぎ)さんはその年、中国大陸の野戦郵便局へ赴任することになった。

 伸さんや安意さんは正宜さんの写真を手帳ほどの額に入れて飾り、陰膳を供えていた。食事のときには、まず正宜の写真の前に膳に据え、それから箸を取る。

 そうやって正宜さんの無事を祈った。

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taiwanokinawa.hatenablog.com

 ※この記事は嵩本正宜(1995)「蟻の詩」(ミル出版,石垣市)、国永美智子ら(2012)「石垣島で台湾を歩く」(沖縄タイムス社、那覇市)を参照しています。嵩本正宜さんの写真は安意さん提供。