引く手あまた
嵩本安意(たけもと・あんい)さんら一家が疎開した地域は農村地帯で、田植えが行われることもあった。母親の伸さんは、出身地の石垣島字新川で農業していただけに、手伝いに呼ばれると楽々と苗を植えていった。その手際は現地の台湾人たちの目を引き付けることになり、伸さんはやがて引く手あまたになっていった。
伸さんは体に染みついた感覚を頼りにどんどん植えていく。ロープか何か張ったわけではないのに、定規を当てたようにまっすぐに田植えをするのだ。
安意さんが振り返る。
「母は縄も何も張らずに、ばーっと植えていったもんですから、台湾の人が驚いて、『じゃあ、きょうは私のところ』って(頼んでくる)」。
農作業でご飯
伸さんが手伝いに出たその日の食事は、農作業を頼んできた台湾人が朝昼晩と用意することになっていたので、安意さんら幼い子どもたちは伸さんの働きでその日のご飯をまかなってもらえた。
そのころ、伸さんは脚気気味で、農作業をしたその晩にはぐったりとなってしまうこともあった。近所の台湾人たちはそんな伸さんを気遣い、おかゆを用意したりしてくれた。乳の出も悪く、安意さんの末の弟はひもじさに夜泣きをした。隣に住む台湾人のおばさんは夜寝る前になると、もち米の粉と砂糖を混ぜたものを水で溶いてどんぶり一杯分用意しておき、夜泣きが始まると、安意さんが受け取って弟に与えるのが習慣になっていった。
弟はどんぶり一杯を飲み干すことなく眠ってしまう。
「ひもじいと眠れない」
安意さんはそのたびに「よかった」と思った。弟が眠れることもうれしかったし、弟の食べ残しを自分で食べることができるのもうれしかった。
私のインタビューに安意さんは「お腹が減ったら寝られないもんだね」と言ったが、それは弟のことでもあるし、安意さん自身のひもじさを表現したものでもある。