不完全燃焼に光明
八重山と旧満州(現在の中国東北部)のかかわりを初めて意識したのは2011年12月のこと。沖縄本島の石川から石垣島に移り住んできた男性のライフヒストリーをうかがっていて、満蒙開拓で中国大陸に渡ってから徴兵され、戦後はシベリアで抑留生活を経験したと聞かされたのがきっかけです。
とはいえ、深く調べたわけではありません。戦中戦後の沖縄において満蒙開拓をどう位置づけるべきなのか考えないまま放っておいたところ、今年7月には、長野県阿智村の満蒙開拓平和記念館へ見学にいくことになってしまいました。
設立以来、民間主導を基本に据えてきたこの記念館は、決して交通の便がいいという立地ではないのですが、年間3万人が訪れ、年齢や性別を問わず、さまざまな人たちが満蒙開拓について触れているのです。この現象には、大いに触発されました。
いかに引き継ぐか
しかし、いかんせん沖縄とのかかわりは太くならないまま。
不完全燃焼な状態が続いていたところに、沖縄満洲会編「沖縄・それぞれの満洲」(2015年)という記録集が発刊されていることを知り、さっそく購入しました。沖縄満洲会は2001年7月に発足し、2015年11月に解散してしまいました(2015年11月16日付「琉球新報」電子版)。それだけに、救われた気分になりました。
言うまでもないことですが、戦争体験者から直に話を聞く機会が減る一方です。ただ、記録を残してくれている先達は少なくありません。既存の資料を的確に引き継ぐにはどのような方法がいいのか。この点がこれからますます問われることになるのでしょう。