台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

所蔵資料展「戦後の援護」

バスに乗るときには注意

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 沖縄県公文書館へ向かっていたとき、安里のバス停で乗り換えようとして右往左往してしまった。市外線から市内線に乗り継ぐときに起きたもので、同じ名前のバス停でも市内線と市外線とでは違う場所に停留所が立っているという、ありがちな状況に思い至らなかったことから起きたミス。

 といった末にたどり着いた公文書館だったが、調べ物は無事に終了。そこにある資料からはターゲットを探し当てることはできないということを確認にいったので、達成感はやや低めだが、それも必要な作業だ。

西表島沖での出来事

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 館内では、所蔵資料展「戦後の援護」が行われており、見学してみた。先島関係の資料では、宮古島の旧下地村出身の男性が西表島沖で戦死したことを示す「事実証明書」という資料が展示されており、「敵機ノ攻撃ヲ受ケ戦死ス」と書かれた事柄を第二十八師団参謀長が証明していた。死亡日時は1945年2月6日。大田静男「八重山の戦争」(南山舎,1996年)にも言及がなく、この日の西表島沖がどのような状況になっているかを調べてみる必要はあるが、ともあれ、このような資料が残されていることそのものに驚きを覚える。

 この資料に関連して、遺族に支払われる扶助金の算定書という資料も展示されていた。亡くなった人の採用年月日や解雇年月日、死亡年月日が書かれているのだが、解雇と死亡が同じ日付となっており、戦争状態だったことを象徴していた。

栄丸は?

 「遭難死没者名簿」も興味深い。関係者の申し出によってつくられた資料だとのことだが、遭難船舶として挙がっている船には対馬丸や嘉義丸などがあるものの、戦後、台湾からの引き揚げに用いられて基隆沖で沈没した栄丸などは掲載されていないとのことである。

 来年3月13日まで。

www.archives.pref.okinawa.jp