水路に架かる橋のそば
その場所は県道に沿った郊外にあり、自動車はたまに走ってくる程度。去っていくと、静けさが戻ってくる。家はぽつんぽつんとしか見えない。
映画「KANO」に取り上げられたことであらためて関心を呼んでいる台湾の大規模灌漑施設「嘉南大圳」のことを調べてみようと思い、付近の地図を見ていた。すると、嘉南大圳に水を供給するために築かれた烏山頭ダムからそう遠くないところに、筆者はかつて足を運んでいたのだと気付いた。
2006年6月、アジア太平洋戦争末期の疎開で六甲(疎開当時は台南州曾文郡六甲庄、現在は台南市六甲区)に身を寄せたという八重山出身者とその疎開先を訪問した。この訪問はあらかじめ六甲郷公所に伝えてあったため、郷公所には地域の高齢者のみなさんが集まってくださり、このうちの何人かは疎開地として使われた場所に同行してくださった。
妹や祖母を亡くす
八重山出身の疎開経験者は石垣島から台湾に疎開し、いったんは麻豆に腰を落ち着けたが、その後、六甲に移動し、そこで妹や祖母を亡くしている。現地の方の説明によると、その場所は、嘉南大圳北幹線と呼ばれる用水路に架かる橋のそばだった。橋の名前は「五號橋」という。
あらためて調べてみると、烏山頭紀念館がある烏山頭ダムのほとりは、この疎開先から南へ4、5キロしか離れていない。烏山頭ダムを起点にとってみると、ダムを出た水は導水路でいったん西へ流れていき、そこから南北に分岐する。このうち、北向きに流れるのが嘉南大圳北幹線。北幹線に架かる橋には番号が振られていて(地図上では欠番もあるようだが)、「五號橋」は5番目の橋ということである。
結びついている
疎開のことを調べにいったときに嘉南大圳のことをもっと強く意識しておけばよかった。
準備不足だった。
疎開者が身を寄せるために使われた施設のなかには、製糖工場の関連施設が含まれているのだが、台湾のサトウキビ産業は嘉南大圳抜きには語ることができず、ということは、疎開者たちは嘉南大圳と密接にかかわりのある建物に住んでいたことになるのだ。旧台南州に疎開した人たちのお話をうかがっていると、「水路で遊んだ」といった思い出が語られることがあり、「もしや嘉南大圳?」と思わないでもない。
次のこの辺りを歩くときには、今までとは少し違った目で見てみたいものである。