台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

短命の図書館があった

琉球政府立医学図書館」という看板

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 牧志の路地を歩いていたところ、「アンティークショップしんあい」という店に「琉球政府立医学図書館」という看板が置いてあるのを見付けた。説明もなく、とんっと店先に置かれている景色が誠に素朴である。

 調べてみると、沖縄の本土復帰まであった開館期間わずか5年2カ月という短命の図書館だった。そして、所蔵資料の末路を知ると、少し暗い気分になった。2012年4月に閉館した後、八重山に関する貴重な資料約7000点の行き先が決まらないままになっている沖縄県立図書館八重山分館の「今後」を示唆しているように思われてしまうからだ。

1967年開館                   

 平良朝子(2000)によれば、医学図書館は1967年3月に開館し、1972年5月の沖縄復帰に伴って閉館した。本土復帰の前年に発表された新垣(1971)によると、施設は鉄筋コンクリート2階建てで、7万5000冊収容可能の書庫を持っていた。論文執筆時点での蔵書は1万2577冊となっており、書庫の機能は十分に発揮されないままに廃館したことになる。

 2階には56席の閲覧室があった。

資料は分散

 同じ敷地では、琉球大学附属図書館保健学部図書室が1970年10月5日に開館し、さらに、当時すでに1972年4月開院予定となっていた琉球大学附属病院にも図書室が開設されることになっていたため、新垣(1971)は「同一敷地内に三つの医学関係の図書館(室)が並行して存在することは(中略)不合理と云わざるをえず、三者の統合は是非とも実現してほしい」と述べている。ただ、平良(2000)よれば、基本的には琉大への移管が合意されたものの、「うやむやのなかに琉球大学への移管は実現せず、政府立医学図書館は廃館となった」。

 所蔵資料は、大部分が県立中部病院図書室に移され、その他は、ほかの県立病院や保健所、医療衛生関係の施設、研究所などに分散した(平良 2000)

 百年近い歴史を誇った八重山分館と、5年余りで廃館の憂き目を見た医学図書館と同列に論じることには慎重でなければならないが、いったん一つの図書館・資料館を閉じることになると何が起こるのか(起こりうるのか)を見極めるうえでは、医学図書館廃館の経緯は参照する価値がある。 

 <参考文献>

 平良朝子(2000)「回想の琉球政府立医学図書館」(伊藤松彦編「沖縄の図書館」教育史料出版会,東京,pp99-105)、新垣雅子(1971)「琉球政府立医学図書館の実情」(「医学図書館」18(3),pp313-320)豊平朝美(2000)「医学図書館の地域医療情報サービス」(「琉球大学附属図書館報」33(4),pp6-7)

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