台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

石垣島からの疎開・員林(3)

疎開先を転々

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 石垣島の中心市街地出身のUさん(1934年生)は、台湾に疎開した後、次々に疎開先を変えていったという経験の持ち主である。アジア太平洋戦争末期に、八重山など沖縄の各地に向けて行われた疎開では、最初に腰を落ち着けた疎開先から別の場所へ移る「2次疎開」が行われたケースは珍しくないが、Uさん一家の疎開先は4カ所に及び、最後にやってきたのが員林だった。

子どもが連絡係

 Uさん一家は約石垣島から20家族ほどが乗り込んだ木造船で台湾に向かい、基隆に上陸するとすぐに台南に移動した。台南ではいったん寺に身を寄せた後、麻豆に移動した。ここからさらに別の場所に2次疎開し、その後、親戚を頼って台北と基隆に行き、家族は2カ所に分かれて暮らすことになった。Uさんは当時10歳ほどだったが、台北と基隆を行き来して家族間の連絡係を務めたという。「子どもなので(汽車の)運賃が安かったから(連絡係を任されたの)ではないか」とUさん。

戦火で員林へ

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 一家が員林に移るのはこの後のことである。

 Uさんは「戦火が激しくなり、親せきの手にも負えなくなり、員林へ行くことになった」と振り返る。台湾は1945年5月31日に台北大空襲に見舞われるなど、戦況は悪化していった。

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