石垣英和さん、ご逝去
戦後、台湾にいた八重山の人たちはどのようにして故郷に戻ってきたのか。この問いを考えるうえで、とても大切な資料を提供してくださったのが石垣英和さん。植民地統治が終わった直後の台湾で発足した沖縄出身者の組織「台湾沖縄同郷会連合会」が発行した証明書を所蔵しており、おそらくたった一枚しか確認されていないその貴重な書類を取材やインタビューのたびに見せてくださった。
2016年1月18日、その石垣英和さんが亡くなった。享年86。せめて数え97歳のカジマヤーまで、あれこれしゃべっていただきたかっただけに、残念でならない。どうぞ安らかにお眠りください。
沖縄籍民タルコトヲ證ス
この証明書は2008年8月14日付の「八重山毎日新聞」に載っている。全文は次の通り。
証第106号
證明書
本籍 沖縄八重山郡石垣町字石垣◇◇◇番地
住所 台北市御成町◇ノ◇
氏名 石垣英貴
当72年
右之者沖縄籍民タルコトヲ證ス
民国35年2月12日
台湾沖縄同郷会聯合会長與儀喜宣
(「石垣英貴」は英和さんのお父様。民国35年は1946年。「◇」部分は実際には数字が入っている)
投げかけるもの
筆者はこの証明書を拝見したことを機に、「台湾沖縄同郷会連合会」という組織の探索を始めたのだった。英和さんがこの資料を保管していなければ、筆者は石垣市立図書館が蔵する牧野清コレクションに「台湾沖縄同郷会連合会」の資料を見付けても、その意味や重みに気付くことはできなかったのではないか。さらに、「沖縄籍民」とはだれを示すのかといったテーマも奥深い広がりをはらんでいそうである。
発行されて以来、60年以上もの間、石垣英和さんがこの証明書を大切に保管しつづけてこられたことに敬意を表したいと思う。英和さんが亡くなっても、たった一枚残されたこの紙片は私たちにいくつもの問いを投げかけ続けるのです。