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台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

カツオ漁とかつお節 目井津から久部良に渡った二人の「貞」(1)位置情報あり

与那国 台湾 食べ物

キング賞の迫田貞熊

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 講談社が発行していた大衆娯楽雑誌「キング」の編集部が贈る「キング賞」というものがあり、1931年には与那国島の迫田貞熊(さこた・さだくま)が受賞者の一人に選ばれている。与那国島で戦前の漁業のことを取材していると、「キング賞」を受賞した人物がいたことを耳にしたものだが、受賞者を発田貞彦(ほった・さだひこ)と勘違いしている人がいた。東洋一と称されたかつお節工場を戦前の久部良に建てたという人物である。与那国島だけで通用する私蔵紙幣を発行していたとか、そのかつお節工場があまりに目立ったために米軍機の攻撃目標になったとか、伝説めいた逸話を残している発田だけに受賞者と思い込んでしまうのも無理はないところではあるが、迫田貞熊と発田貞彦という二人の人物を比較してみると、取り違えや混同が起きるのもしょうがないと思える事柄がいくつかあった。

発動機船で曳縄漁

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 貞熊がキング賞を授与されてから5年後の1936年1月11日付で「海南時報」という新聞が久部良の漁村を取り上げた記事を4面に載せている。記事は、「漁村に輝く人々」との見出しで、迫田貞熊と発田貞彦を含む三人を紹介していた。

 迫田貞熊については以下の通りである。

 キング賞を得た/迫田貞熊氏(原文は「貞態」)

 刳舟のみで曳縄漁業を営み、発動機船を利用する者のないのを遺憾とし、大正十年、初めて(原文は「始めて」)四馬力の発動機船で与那国に曳縄漁業を始めたのが実に迫田貞熊(原文は「貞彦」)氏で、さきに漁業発展功労者としてキング賞を受けた人。目下農業に従事し、村会議員として活躍している。

(旧漢字を改めた。適宜、句読点を加えた)

 貞熊と貞彦。二人は名前からして似通っており、記事でも名前を書き間違えている。

「捕る」と「つくる」

 それはともかく、この記事のポイントは、迫田貞熊にキング賞が贈られた理由として、発動機船を使った曳縄漁業を与那国島で始めた功績としている点である。「キング」は1932年1月号で、迫田貞熊を含む192人を表彰した第10回キング賞の受賞者を公表しているが、次のような記述しかなく、功績には触れていないのである。

沖縄県八重山郡与那国村 迫田貞熊殿

(推薦者 同村長 具志幸加殿)

(「キング」1932年1月号、607ページ)

 迫田貞熊は漁業者であって、発田貞彦のような水産加工業者ではない。ただ、二人は貞熊がカツオを捕り、貞彦がそのカツオを引き取ってかつお節にするという関係で結ばれていた。

 ※ 迫田貞熊については迫田貞男『古稀を迎へて』(私家版、1992年、トライ社、鹿児島)を参照した。

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