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台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

八重山と水牛

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 八重山に住む台湾人を取り上げたドキュメンタリーフィルム「海的彼端」の公式サイトにエッセーを書きました。原文(日本語)は後段に貼ってあります。

 水牛車で知られる竹富島には2016年6月2日に行ってきたばかり。もちろん、水牛車にも乗りました。水牛=八重山と台湾をつなぐ存在、ですね。 

水牛でつながれた縁

 

「懐かしい風景」

 数年前、台湾で旅行業に携わる人が八重山を視察し、「懐かしい風景ですね」と話していたことがあるそうです。台湾ではすっかり珍しくなった水牛は、八重山の竹富(Taketomi)島と西表(Iriomote)島、由布(Yubu)島では水牛車観光で活躍しており、その光景に懐かしさを覚えていたのでした。この感想は当を得たものといえましょう。なぜなら、八重山の水牛は植民地台湾からやってきた台湾人が持ち込み、それが定着したものだからです。水牛車といえば、八重山観光の代名詞といっても過言ではないほどの地位を獲得していますが、それは台湾からもたらされたものなのです。

対立から受容へ

 もっとも、八重山の人たちは最初から水牛を好意的に受け止めていたわけではありません。台湾人に連れられて八重山にやってきた水牛は、八重山の人たちがそれまで目にしたことのないようなペースで土地を耕し、畑を広げていきました。このため、八重山の人たちは「台湾の人たちは八重山の土地を奪ってしまう。自分たちが耕す土地がなくなるのではないか」と危惧し、水牛を排斥しようとさえしました。

このように、八重山の人たちと台湾の人たちの争いの種になっていた水牛ですが、八重山の人たちの間にも徐々に普及し、受容されていきます。その後、沖縄の施政権が日本に返還されると、農地の区画整理などが本格的に進むようになり、水牛が好む沼地が徐々に消えていった結果、水牛が農耕用に使われることはなくなり、トラクターなどに取って代わられました。現在では、農作業に水牛を使っている農家は八重山には一人もいないと思われます。

さらに深まる交流

しかし、水牛は八重山から完全に姿を消すことはなく、水牛車を引っ張って観光客を喜ばせるようになりました。沖縄県八重山事務所のまとめによると、2015年に八重山を訪れた観光客は111万人となり、この1割以上が台湾からやってきた人たちでした。このなかには、水牛車を楽しんだという人もいるはずです。台湾の人たちが持ち込んで八重山の風景の一部になった水牛は、時代を経て現在は台湾人たちを楽しませるツールになっているのです。水牛によって結ばれた台湾と八重山の仲は観光による交流を通じてますます深まっていきそうです。

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