八重山に住む台湾人を取り上げたドキュメンタリーフィルム「海的彼端」のウエブにコラムを執筆しました。パインをめぐる八重山と台湾のつながりがテーマです。
日本語の原文をご紹介します。
<八重山のパインアップルは台湾から>
家庭でも職場でも
陽気が夏めき、パインアップルの季節に入ってきました。八重山は台湾と同様にパインの産地で、時季になると食堂はもちろんのこと、家庭でも、職場でも、パインを食べる光景が珍しくなくなります。筆者は、ことしはまだ食べていませんが、今から初物が楽しみなところです。
八重山の夏の風物となっているパインですが、台湾の人たちが持ち込んだことをきっかけとして現在の姿があります。
台湾人の貢献
石垣島で取れたパインアップルを楽しむ(2013年7月3日、松田良孝撮影)
台湾の実業家が1935年に石垣島を訪れ、大同拓殖という会社を設立してパインを栽培し始めました。アジア太平洋戦争中は「贅沢な食べ物」と位置付けられ、栽培は中止を余儀なくされます。パインの缶詰工場も接収されてしまいました。
戦争が終わると、栽培中止後もひそかに残しておいた苗を使ってパイン栽培が再開され、「パインブーム」と呼ばれるほど盛んに栽培されました。パイン缶詰の製造工場は人手が足りず、湾からも働きにくる人もいました。台湾の人たちは、八重山にパインをもたらしただけでなく、熟練した労働を提供することでも八重山に貢献し、2012年8月には、「台湾農業者入植顕頌碑」が建立されています。
伝統的な儀礼にも
八重山では夏になると、豊年祭という伝統的な農耕儀礼が各地で行われますが、その供物としてパインが用いられるケースがあり、パインは八重山の伝統にかかわる領域にまで進出しています。パインをモチーフとして取り入れたケースとしては、パインの形をしたトイレやパインの形をした電話ボックスがあります。
八重山は海もきれいですが、野山も美しく、明るい日差しが降り注ぐ日に高台から畑を眺めると、サトウキビが明るい緑、パインが深い緑に輝き、パステルタッチのパッチワークを織りなしています。この風景は、台湾の人たちがパインを持ち込まなければ、随分と変わったものになっていたことでしょう。