面積は互角 人口はけた違い
収穫を控え、穂を垂れる西表島の米(2016年6月4日、松田良孝撮影)
台北が全部森に覆われていたとしたら……
そんな空想の世界をリアルに体験できるのが八重山諸島にある西表島だ。台北市と比較してみよう。
西表島の面積は289.30平方キロで、沖縄県で最大の広さを誇る。一方の台北市は272.80平方キロで勝負はほぼ互角。ただし、人口はけた違いである。西表島は2402人(2016年1月)だが、台北はその1000倍を超える270万2930人(2016年5月)。
西表島は、なんと人口が少ないことだろう、とまずは嘆いてみる。が、しかし、そこには豊かさがちゃんとあって、亜熱帯の森と澄み切ったサンゴ礁の海にくるまれて暮らす人々は、実にぜいたくな日常を送っているのだ。
ぜいたくな暮らし
西表島の水田。間もなく刈り取りである(2016年6月4日、松田良孝撮影)
西表島の祖納という集落で、私は6月3日に一晩泊まったのだが、そこで目に付いたのは田んぼである。この集落は沖縄有数の米どころで、私が訪れたときはちょうど米の収穫が始まろうとしていた時期に当たり、金色の稲穂で埋め尽くされた田んぼからは、かぐわしい香りが漂ってきそうである。
宿泊先のホテルでは夕飯に、タケノコやモズク、カタクチイワシなど西表島で捕れた海や山の幸がずらりと並んだのだが、ごはんももちろん島で収穫したコメを使っていた。八重山の島で過ごし、その島の自然がもたらした幸を味わうというのはこの上ないぜいたくである。
米でつながる台湾と八重山
西表島のホテルで夕飯に出されたご飯(2016年6月3日、松田良孝撮影)
島の人と話していて、意外なことを言われた。台湾とのつながりである。
「西表島も台湾とつながりがあるんだよ。台中65号っていう米を栽培していたことがあるんだ。今も、少しだけど栽培している人がいるよ」
台湾の米作は日本の植民地統治期にその基盤がつくられたことがよく知られており、台湾大学の磯永吉小屋にはその歴史や品種改良に使われた実験器具などを見ることができる。「台中65号」はその当時の台湾で品種改良されたコメのひとつ。「台中65号」など台湾で品種改良されたコメは、1930年前後に台湾から八重山へ持ちこまれ、「蓬莱米」の名称ととに普及していく。その波は西表島にも達していたのだ。
冒頭の問いかけに戻ってみよう。
台北が全部森に覆われていたとしたら……
これは無理な設定である。西表島の自然で台北を覆いつくすことはできない。しかし、西表島に豊かさをもたらした源泉を丹念にたどってみると、その先に台湾の影を見出すことはできるのだ。