自転車で西川越駅まで遠乗り
強く記憶に残っているのに、なぜそんなことをするようになったのか覚えていないことというものがある。
中学生のころ、埼玉県で暮らしていた私は、自転車に乗り、友人と3人でJR東日本の西川越駅まで行くということを繰り返していた。私たち3人は大宮市内の同じ小学校から同じ中学校に上がった仲で、鉄道に興味があるということで一緒にうろつくようになった。部活はバラバラだったから、しょっちゅうというわけにはいかなかったが、日にちを決めて約15キロ離れた西川越まで遠乗りするのである。そして、まだ電化されていなかった川越線の気動車に西川越駅から乗り、高麗川駅まで行って帰ってくる。西川越に戻ると、再び自転車で自宅まで帰らなければならないわけで、かなりな時間を掛けて遠征していたことになる。
ぺらぺらの乗車券
不思議なことに、その間、何かを飲んだり食べたりしたという覚えはない。小遣いに恵まれているはずのない中学生のこと、西川越と高麗川の間の往復する運賃を支払うで精一杯だったのであろう。西川越駅は無人駅で、高麗川へ向かう気動車の中で車掌に運賃を支払い、駅名などを小さな文字でプリントしたぺらぺらの乗車券をもらうのが楽しかったという記憶はおぼろげに残っていて、あるいはこういう体験が楽しみでわざわざ無人駅の西川越まで行っていたのかもしれないが、我がことながらはっきりしない。
入間川の土手
田んぼにさらされた苗束(2016年5月23日、川越市小ケ谷で松田良孝撮影)
2016年5月下旬、西川越を再訪した。大学生のころ、里帰りのついでに足を伸ばして以来だからほとんど四半世紀ぶりである。さすがに自転車を使うことはなく、大宮駅の地下ホームから川越行きを利用し、乗り換えて一駅で西川越に着いた。電車である。最高気温が平年より7度以上高い夏のような晴天の下、入間川の土手を目指す。中学生の時、西川越まで自転車で来た後、高麗川へは行かずにこの土手でだべっていたこともあるのだ。
西川越の北側は水田地帯で、きれいな長方形に区切られた田んぼが並ぶエリアを、まるで定規で線を引いたように川越線と東武東上線が東西に走る。ちょうど田んぼが済んだ時期らしく、田んぼのそばを歩いていくと、溢れんばかりに注ぎ込まれる水に苗束をさらしてあるところにも出くわした。
「空洞の巨木」のように
目指す土手の辺りは、以前から家が立ち並んでいるところだったが、棟数が増えたような印象である。ただ、土手の上から入間川を眺めると、河川敷の縁を通る通路以外は、川面までほどよく緑の草が茂り、その光景は中学生のころの記憶を一致していた。川越線の電車が柵のない鉄橋を車輪までむき出した姿で行き来する。
なぜそこへ行くようになったのか、その理由は分からないのに、そこへ行きたいという衝動だけは残っているのだから不思議なものである。内側はほとんど洞になってしまっているのに、その樹は倒れることなく、円柱のようになったまま、森の一角でけっこうな空間を占領し続けている巨木の姿が頭に浮かんだ。
国土交通省関東地方整備局荒川上流河川事務所が入間川に設けている小ヶ谷水位観測所のライブ映像。映像のなかに見える水色の鉄橋が川越線の鉄橋