石垣・八重山・沖縄・日本
「沖縄の台湾移民」という見出しではなく、「石垣の台湾移民」や「八重山の台湾移民」という見出しで報じられるようになる時は来るのか来ないのか。「日台の歴史」という表現にも違和感を覚えないといったら嘘になりますが、記事に見出しを付ける側に立って考えると、この表現以外にはないのだと気付きます。この映画を撮った黄監督は八重山に住む台湾系の人たちがたどってきた道を「隠れた歴史」と表現しているのだけれども、そういう隠れた部分というものはストレートな見出しになりにくい。ぱっとみて頭に入ってくることが見出しの役割だから。八重山に住む台湾系の人たちのことはこの先、「隠れた歴史」からよく知られた歴史になることはあるのでしょうか。