「どこからどう見ても」
石垣島に住む台湾人、玉木玉代さん(87)とその家族を追った台湾のドキュメンタリー映画「海の彼方」(黄贏毓監督、原題「海的彼端」)について語る座談会が2016年10月1日、台北市内の映画館で開かれ、台湾人の父と日本人の母を持ち、台湾に関するエッセーなども執筆する女優の一青妙さん(46)が登壇した。
「こんなに長く日本にいるおばあちゃんが、どこからどう見てもまだ台湾人。お化粧の仕方から髪型から、台湾のおばあちゃん以外には見えないのがすごいと思いました。日本にいる私の台湾の親戚もそんな感じ。シンパシーを感じた」と、玉代さんのビジュアルに注目したのは、台湾人の血を引く妙さんならではの観察眼なのか。
妙さんの父親は1928年生の台湾人で、29年生の玉代さんとほぼ同世代。家族の前で台湾人の知人と台湾語でおしゃべりする玉代さんと異なり、父親が妙さんに台湾語を話す姿を見せた記憶はないが、作品のなかで玉代さんが台湾の親戚と接する姿には「父の代のおじさんやおばさんはまさにあの世代。話す感じとか、親戚と会ったときの雰囲気とかは、まさに一緒」と親近感を抱いた。
「(日本滞在が)完全な日本人になってもいい年月を経ているのに、不思議と、姿形とか日本語が、そうではないということが、日本にいる台湾人だなと強く感じました」とも述べ、玉代さんが台湾出身者として石垣島で過ごしてきた歳月に思いを馳せた。
出自を意識する契機
座談会には、玉代さんの孫でミュージシャンの玉木慎吾さん(33)も参加し、「台湾の人たちには、八重山に台湾人の子孫が繁栄していることを知ってほしい」と語った。台湾のオーディエンスに中国語で直接話す妙さんの姿も、慎吾さんには刺激になったようだ。
慎吾さんは祖母、玉代さんの里帰りに同行したことによって自らの中にある台湾人性をより強く意識するようになったという。妙さんは「私は40歳近くになって(台湾人としてのルーツを)やっと意識した」。
11歳で台湾から日本に移り住んだ妙さん。当時、妙さんの目には、欧米からの帰国子女は「英語がしゃべれてすごい」ともてはやされているように映ったが、台湾で自分が使っていた中国語に積極的な意味を見出すきっかけはつかめなかった。その後、大学に進学し、台湾や中国からの留学生と出会う。簡単な通訳をする機会があり、「もうちょっとやっておけばよかった」と後悔した。この辺りが自らの出自を意識する契機と言っていい出来事だ。
映画をきっかけに
台湾では昨年、植民地台湾で生まれた日本人の今を追ったドキュメンタリー映画『湾生回家』が高い関心を呼び、中華圏の映画を対象にした金馬奨のドキュメンタリー部門にノミネートされた。一方、『海の彼方』は同じドキュメンタリーの手法を用いて、植民地台湾で生まれた後に日本に渡った台湾人がテーマ。
妙さんは「日本の若者の中には、台湾が日本に統治されていたことを知らず、台湾のことを観光という目でしか見ていない人もいる。固めの歴史の本は手に取りにくいが、映画などがきっかけとなり、もっと勉強するということが大切」とドキュメンタリーが果たしうる現代的な役割に着目し、「(両作品を)セットでみてほしい」と呼びかける。