台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

台湾唯一のシュガートレイン 雲林県虎尾

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サトウキビを積んだ貨車を引いて走る台湾のシュガートレイン

=2016年12月17日午後、雲林県褒忠郷で松田良孝撮影

 

「列車が来たね」

 叫ぶようでも吠えるようでもない中途半端な警笛が遠くで「プー」といっている。東西に真っ直ぐ伸びた鉄路の向こうに目を凝らすと、橙色の小さな点が見えた。何輌もの貨車を引いているはずの小型ディーゼル機関車である。陽炎なんてあるはずはないのに、輪郭はぼやけたまま。なかなか近づいてこない。刈り取ったサトウキビを貨車に積み込む場所には数人の作業員がいるのだけれども、せいぜい「列車が来たね」と言う程度で、たいていは、それがどうしたのだという顔をしたままでいた。

 冬場は台湾もサトウキビの収穫期。雲林県虎尾鎮にある製糖工場の台糖公司虎尾糖廠は褒忠方面との間を結ぶシュガートレインを今期も運行している。サトウキビを製糖工場に運ぶこの貨物列車は、刈り取りの終わる3月まで走ることになっている。

 2016年12月中旬、虎尾糖廠からシュガートレインで10キロ余り離れた褒忠郷龍巌村の台糖公司龍岩農場を訪れた。前日までの冷え込みが幾分緩むと天気予報が伝えていた以上の好天で、北からひんやりとした風が吹き付けてこなければ、春か夏かといった青空である。ハーベスターで刈り取ったサトウキビが大型トラックで運び込まれ、レールに並んだ貨車の上にある積み込み口から流し込まれていく。こうして貨車を一輌また一輌といっぱいにしていき、シュガートレインの到着を待つのである。とはいえ、シュガートレインは1日5、6便ほど。大型トラックは、時折辺りの静寂を破るといったペースでしか積み込みにこない。

 係員はおしゃべりをしたり、煙草を吸ったりしながら待つ。帳簿の整理もするにはするが、それに専念しないと間に合わないという事務量ではない。

 シュガートレインの到着を待つ私に、農場の許丁旭主任が話しかけてきて「この鉄道は日本時代にできたもので、歴史があります」と言った。

 

糖都

 

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雲林布袋戲館。日本統治期に警察署や郡役所として使われた施設を使用している

=2016年12月16日、雲林県虎尾鎮で松田良孝撮影

 

 サトウキビから純度の高い砂糖を作り出す近代的な製糖工場は、台湾では日本統治期に整備が始まり、最盛期には40カ所余りの製糖工場が稼働していたが、自由化と安価な外国産の普及というお決まりのパターンから衰退の一途をたどり、現在は雲林県の虎尾と台南市善化の2カ所だけしか残っていない。

 虎尾糖廠は1909年に創業した大日本製糖台湾工場が前身。かつての虎尾は「糖都」と呼ばれ、経済や政治、行政の中心地だった。日本統治期に警察署や郡役所として使われた施設は、現在は伝統的な人形劇「布袋戲(ポテヒ)」をテーマとする雲林布袋戲館として使われ、1939年建築の合同庁舎はリノベーションされてスターバックスや誠品書局が入居しており、「糖都」の面影を偲ぶことができる。

 

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日本統治期の1939年に建てられた旧合同庁舎

=2016年12月16日、雲林県虎尾鎮で松田良孝撮影

軌道は半分

 サトウキビを運搬する貨物列車はというと、製糖工場が主に立地した台湾中南部の西側に広がる平地に張り巡らされていき、日本統治末期には総延長約2600キロに達した。これは台湾総督府が運営していた鉄道の3倍以上の距離である。旅客や荷物も取り扱っていて、1925(大正14)年11月には郵便局の間でやり取りをしようとした現金3123円のうち、約2000円が輸送中に抜き取られるなどという椿事も起きた。軌道は762ミリで、標準軌の1435ミリの半分に当たることから「五分車」とも呼ぶ。12月9日の運行開始を伝えた台湾紙は「五分車来了 台糖虎尾糖廠開工」(五分車が運行 台糖虎尾糖廠で操業始まる)などと書いた。

唯一のシュガートレイン

 

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サトウキビを貨車に積み込む作業が行われるなか、シュガートレインが近づいてきた

=2016年12月17日午後、雲林県褒忠郷で松田良孝撮影

 

 現在シュガートレインを運行している虎尾糖廠だけ。シュガートレインを観光列車に衣替えして営業しているケースはあるが、製糖の原料となるサトウキビの運搬を目的としたケースは虎尾が唯一である。

 

孤独と親しみと

 

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虎尾の市街地を通過し、製糖工場に向かうシュガートレイン

=2016年12月16日、雲林県虎尾鎮で松田良孝撮影

 

 シュガートレインがサトウキビをいっぱい積み込んだ貨車を何輌も引き連れている姿は頼もしくもあるし、人気のない畑の間をゆっくりと走っていくところは孤独でもある。そして、製糖工場のある虎尾の市街地を通過していくときには親しみを帯びる。シュガートレインはすぐそばまで迫る民家の軒をかすめるようにして走り、冬場の風物詩ともいうべきその風景を子ども連れで見送る人がいたりする。シュガートレインが走っていなければ、鉄路が敷かれたその場所は生活道路となり、車やバイクも走る。犬も歩けば、家禽もよちよち歩きだ。レールの上にネコがちょこんと座っていたりもする。

 シュガートレインに時刻表はないのだが、工場を出てから戻るまでだいたい2時間というのが相場。踏切ごとに待機している交通整理の人がシュガートレインの通過時刻をメモしていることも多く、「次は1時間半後に通過するよ」「今工場へ戻ったから、そのうちすぐにまた出てくる」といった具合に教えてくれる。言葉が分からなくても心配はいらない。市街地の踏切は警報音がカンカン鳴る仕組みだし、警笛が遠くから「プー」と響く音は市街地でも聞こえてくる。

 ※ 台湾総督府交通局鉄道部「鉄道要覧 昭和15年3月版」(1940年)、台湾総督府殖産局「台湾の糖業」(1939年)、大日本製糖株式会社台湾工場「大日本製糖株式会社台湾工場一覧」(1923年)を参照した。