歸來という駅に連れてこられた
「台湾らしい農村のなかにある駅なんですよ」と勧められ、車で駅まで送ってもらったところが屏東市内にある歸來(帰来)駅。その日のうちに台北に戻らなければならないので、新左営駅まで戻って、そこから新幹線に乗り継ぐことになっていたのだが、幸いなことに新左営駅まで行く列車の出発まで30分ほどあった。ちょっとそこまで行って戻ってくるつもりで歩き出すと、ほどなくして慈天宮という媽祖廟に行き当たった。
3日前、媽祖を祀る台北市内の壇が派手に爆竹をならして祭祀を執り行っていたが、同じ媽祖を祀っているとはいえ、こちらは平時。広場に屋台が出ていて、夕飯だか、ちょっと摘まむための何かだかを注文して待っている人がたたずんでいる。間もなく日が暮れそうだ。日中32度まで上がった暑さの名残を、黒味が差し始めた鮮やかな夕日に感じ、この時間帯に連れてきてもらったことを感謝した。暑くなくてよかったということではない。光の具合が正解だと思ったのだ。
呪縛のような秩序
気動車が通過していった
私がこういう景色に引かれるのは、結局のところ、空間の作られ方なのだなと思う。設計され、意図されたスペースではなくて、そこに暮らす人たちがああでもない、こうでもないと日々を暮らしているうちにできあがってしまった、自ずから在る空間である。世の中の移り変わりに応じきれなくなっていたとしても、どうにも変えることのできない呪縛のような秩序。
いつかは自走的に
歸來駅。高架化された無人駅である
歸來(帰来)駅は真新しい高架で、無人駅。交通系のカードでタッチして階段を上がり、列車に乗る。絶対に変化しそうにない夕暮れの風景と、先へ先へと変化を追い求めているみたいな鉄道の風景がかみ合いそうにないところも一興だけれども、たぶんどこかで歯車がカチリとかみ合い、そうなってしまうとその先は自走的に回転していくことになるのだろうな。