台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

「ごはん」がつながったり切れたりする 映画『ママ、ごはんまだ?』を観た

料理がストーリーテラー

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 スクリーンに次々に現れる料理の、どれもおいしそうなこと!

 嫁ぎ先の台湾でこしらえ方を覚えた豚足を日本でも作りたくて、商店街の肉屋を訪ねる姿は、ストーリーの展開を追いかけているこちらのほうこそが「どうして豚の足を用意しておいてあげないの!」と店主を叱ってやりたくなるような、ちょっとした哀しみがある。

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 日本に留学経験のある父と台湾に嫁いだ日本人の母を持つ娘が、両親の生きてきたその生き方を確かめながら、日本と台湾の間に生まれ落ちた「わたくし」という存在について自ら問い直す姿を描いた作品なのだが、肩ひじ張らずにみることができるのは料理あってのことだろう。やはり台湾絡みで料理がストーリーテラーの役割を果たした李安の作品『恋人たちの食卓』(原題『飲食男女』、1994年)は冒頭からプロの手さばきでいきなり引き込んでいったが、本作は、台湾で四苦八苦しながら料理を習い覚えた「母」が、その味を自分のものとしていくゆるやかな時間の流れでもって見る人をじんわりとストーリーに付き添わせている。

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「自分とは何か」

 台湾人の父と日本人の母を持つ一青妙のエッセー集『ママ、ごはんまだ?』『私の箱子』をもとにしたフィクションということだが、登場人物の名前が一青家の実名と同じという設定で、しかも、一青妙本人が作中で自分とは別の人物を演じているものだから、何がリアルでどこがバーチャルなのか観る者を撹乱する面白味を織り込んである。

 ただ、フィクションかノンフィクションかという点にこだわっていては本作のコアは見えてこない。日本と台湾との間を行き来した登場人物たちが、「自分とは何か」という問いに対してそれぞれ異なるアプローチでその人なりの答えを出していくプロセス、あるいは、答えを出せずに終わる道のりこそが見どころである。

 

料理が見せる「境界」

 これはなにも日台だけの話ではない。

 境界の向こう側とこちら側を意識した途端、だれもが抱えうる問いである。こちらは向こう側との間に境界があると思っているのに、向こうはそんなことにまるで頓着していないという、気の重い“片思い”だってあるかもしれない。社会がグローバル化した分、ローカルが他所との違いを際立たせようとするのと似て、「個」としての「自分」も進んで境目に囲い込まれることによって拠り所を見出すのだろうか。 

  そんなふうに考えると、料理というのもなかなか深い。豚足(とんそく)を食べたがる「母」に対して、肉屋の店主が興味深い反応を見せるやりとりが作中にある。「豚足」から「台湾」を発想するのではなく、日本にある別の地域を連想したのである。「ちまき」「台湾の料理」「マーボー豆腐」「四川料理」というワードが、つながったり切れたりするシーンではとぼけた感じに軽く笑ってしまったが、考えてみれば、料理を切り口にして人々が意識したりしなかったりしている「境界」を考えさせられる仕掛けになっているのだ。

 

「日本人以上の日本人」とは

 筆者は本作を台湾の映画館で2度観た。最初は平日の日中という時間帯だったので観客は20人もいなかったが、エンドロールが終わるまで誰一人シートから腰を上げることがなかったのは意外だった。台湾ではエンドロールが始まるのを待ちかねたように席を立つ人が珍しくないからだ。2度目は土曜日の午後。このときはエンドロールが終わったのちもひそひそと何やら話し合っている観客がいて、劇場からさっさと人が消えるということはなかった。

 台湾の観客をそこまで引きずらせたものが何なのかは分からないが、ひとつの推測として顔家の存在を挙げておきたい。

 顔家は台湾有数の財閥として知られ、一青妙の父、顔恵民はその顔家の出である。作中でも同名の人物が登場し、やはり実際の顔恵民と同様に早稲田大学の出身という設定だ。作品のなかでは、その死後、知人が顔恵民のことを「日本人以上に日本人だった」と回想するシーンがあった。ただし、どこが日本人以上だったのかははっきりとは語られず、観客はその答えをスクリーンから読み取るよう求められる。

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 顔恵民役の呉朋奉は、最近では、2010年の台湾映画『父後七日』(監督・王育麟、劉梓潔、邦題『父の初七日』)でどこかインチキ臭い道士を好演し、その年の第47回金馬奨で最優秀助演賞を獲得している。私は台湾語を理解できるわけではないが、この人が台湾語でせりふをしゃべっているのを見ていると、私は今台湾映画を観ているのだなと実感できる。そんな俳優である。

 ただ、本作では台湾語のせりふは少なく、多くは台湾なまりの日本語をしゃべっている。

 「日本人以上に日本人だった」という言葉を解釈するうえで、呉朋奉の演技は台湾の人たちにどう映ったのだろうか。

 しかし、如何せん呉朋奉がスクリーンに登場する時間が短い。

 もっと見ていたかったな、この人の演技。