台湾の北東海岸を走る宜蘭線を蒸気機関車が引っ張るイベント列車が走るというので乗りにいってみました。ただのイベント列車ならわざわざ乗りにいくことはなかったのですが、このイベント列車は何度も通っている大好きな街、宜蘭県の蘇澳から出発するというので、これは行かねばとなったのです。
今回登場した蒸気機関車は日本の旧C57形と同型のCT273形。台湾のイベント列車ではおなじみの機関車です。
客車の出入り口で、台湾鉄道の車掌と職員が乗客を出迎える
蘇澳駅
出発地点は蘇澳駅。蒸気機関車が引っ張るイベント列車は午後2時10分に入線するスケジュールでしたが、蘇澳名物の冷泉でひんやりポカポカしてから午後1時半前に行ってみると、すでにたくさんの人たちでごった返しています。いかにも梅雨らしいじめじめの天気にもかかわらず、台湾の人たちはやはりエネルギッシュです。
蘇澳新駅側から蒸気機関車の煙が見えてくると、プラットホームは一種の緊張感がみなぎり、騒ぎといってもいいほどの混乱状態になった。撮影場所の位置取りやら、一刻も早く蒸気機関車を見ようという老若男女やらが一斉に動き出し、これはちょっと危ないのではないかと思わされたが、かくいう私もカメラを構えた群衆に潜り込み、「蘇澳」という駅名表示とCT273が一緒に収まるポイントを探したのでありました。
イベント列車を引っ張る蒸気機関車は日本の旧C57形と同型のCT273形
蘇澳駅に入線すると、カメラを構えた人たちでプラットホームはごったがえした
私がこのイベント列車のために蘇澳駅に駆け付けたのにはわけがあります。
それは、このイベント列車が、蘇澳~八堵間を結ぶ宜蘭線の開業100年を記念して運行されたものだからです。宜蘭線は、正確には今から95年前の1924(大正13)年に98.8キロの全線が開業していますが、その5年前の1919年(大正8)年に蘇澳~礁溪間が先行区間として開業しており、今年はそれからちょうど100年になるのです。
もし、この宜蘭線がなかったら、八重山と台湾の関係はもう少し違ったものになっていたことでしょう。
たとえば、台湾から八重山への引き揚げ。
日本統治期の台湾には多くの八重山出身者が暮らし、学んだり、働いたりしていたのですが、この八重山の人たちは台湾で終戦を迎えた後、生まれ島へ引き揚げていくことになります。そのときに宜蘭線で蘇澳の港町(南方澳)まで移動し、そこから船で帰郷した人が少なくありません。
もし、宜蘭線がなかったら、引き揚げのための出港地点はほとんど北部の基隆に限られていたはずです。南方澳からの引き揚げでは私的なチャーター船(つまり「ヤミ船」)が多く使われていましたが、管理がより厳しい基隆はそのようなことはたやすくなく、公的な引揚船が手配されるまで引揚者たちは足止めを余儀なくされただろうからです。
蘇澳駅で開かれた出発式には、台湾鉄道のキャラクター「はなちゃん」も登場した
蘇澳駅前
蘇澳では、宜蘭線が全面開業する前年に、漁港が完成しています。現在の南方澳漁港の原形ができあがるのです。この漁港が完成する以前から、南方澳周辺には沖縄の漁民が寄り付いていたことが分かっていますが、漁港が完成することによって台湾を代表する港町へと発展していくのです。その背景には、陸路のアクセスとして宜蘭線が通じたということがあります。
南方澳は、八重山との間で漁船が行き来し、台北などの大都市を目指す人が台湾への出入り口として利用するようになっていきます。八重山から南方澳までやってくると、宜蘭線の列車に乗り換え、めいめいの最終目的地を目指すのです。
宜蘭線があったからこそ、南方澳は平時から八重山との間を結ぶアクセスポイントとして定着し、終戦後の混乱にあっても台湾からの脱出口となりえたわけです。