「Mates 夥伴」(2011年)
「仲間がいて、生き延びられた」
日本統治期の台湾で本格的な開発が進んだ台湾の金瓜石で、金鉱の坑夫として働く台湾人の悲哀を描いた台湾映画「無言の丘」(原題「無言的山丘」、1992年、王童監督)には、「琉球から来た」という設定の少女「富美子」や、「福祉課の金城さん」という人物が登場し、沖縄のにおいが隠し味的に感じらます。
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金瓜石は、九份のすぐ先に位置するという好立地ということもあり、じわじわと人気が広がっているスポット。メイン施設の新北市立黄金博物館や、基隆山などに囲まれた美しい景色が人気を集めています。路地が入り組んだ祈堂老街ではネコが昼寝していることもあり、その光景は個人的に大好きです。
この金瓜石を訪れる際に、頭に入れておきたいのが旧日本軍に捕らわれ、坑夫として働かされた捕虜たちのことです。
グーグルの地図では「二戰金瓜石戰俘營紀念園區」「國際終戰和平紀念園區」などと表記されています。
エリアの中央にあるのはモニュメント「永遠の平和と記憶の炎」です。台湾戦時捕虜記念協会(「台灣戰俘營紀念協會」の拙訳)という組織が2006年11月19日に建立したもので、次のように書かれています(拙訳)。
第二次世界大戦において日本軍によって捕らわれ、台湾の捕虜収容所で苦難にあえいだすべての連合軍捕虜を記念する。
「私たちは決して忘れない」
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モニュメントはほかにもあります。1997年に建立された記念碑はこちら。
中央の記念碑には以下のように刻まれています(拙訳)。左右の銘板には英文と中文で詳しい説明が書かれています。
英国など連合軍の兵士1000人余りが南洋で日本軍の捕虜となり、1942年から1945年にかけてこの地に連行された。捕虜たちは銅鉱や台湾のほかの地区で労役に服し、残酷な虐待を受け、凌辱された。ここに記念碑を建立し、捕虜たちの不屈の精神を永遠に刻み、哀悼の誠を捧げる。
私たちは決して忘れない。
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台湾にあった捕虜収容所の地図。
圓山、中崙、台北、木柵、新店、外雙溪、金瓜石、花蓮、玉里、高雄、屏東、白河、斗六、員林、台中といった地名が刻まれています。
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「彼らの苦難と貢献があって自由がある」(拙訳)
筆者のカウントによれば、刻まれている名前は4366人。英国と米国、オーストラリア、ニュージーランドなどの国名がありました。中央の記念碑に「兵士1000人余り」とある数字との間に開きがありますが、これは台湾の捕虜収容所全体の人数なのかもしれません。