台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

西表島から台湾を望む

 日本のなかで最も台湾に近い沖縄県八重山地方は伝統的な祭祀が数多く続いているエリアのひとつですが、そのうちのひとつ、「シマフサラ」という行事を西表島の干立村で取材しました。病など災厄をもたらすものどもを村から追い払うことを目的としています。この行事の中で、バショウで組んだいかだを海に流す行事があり、その行先はもしかしたら台湾を想定しているのではないかというのがこのブログに添付してある記事の本旨です。

 

 

 

 

 記事では、シマフサラそのものには詳しく触れることができなかったので、このページで写真とともにご紹介します。 

 

 取材日は2019年11月11日。北東の季節風が強まる時期に当たり、穏やかな海や青い空とは縁遠いのですが、今回は好天に恵まれました。正午すぎに記録した最高気温はなんと26度9分西表島からはかなり足が遠のいていたので、ありがたい天候でした。

 

 さて、シマフサラが行われたその日、村の人たちは午前7時ごろに集合し、準備を始めます。集合場所は干立公民館。「公民館」というのは、物理的な建物のことを指していますが、その地域の人たちでつくる自治組織のことも意味していて、筆者は前日の晩にそのリーダーである公民館長の飯田晋平さんに電話を入れ、シマフサラの取材に入る旨お断りしておいたのでありました。ちなみに飯田さんは、筆者が「八重山毎日新聞(本社・沖縄県石垣市で編集部の記者をしていたときにもお世話になっています。2009年12月に西表島でイノシシ猟に同行させてもらったのです。このとき筆者は、村の長老格に当たる別の方に取材への協力をお願いしていたのですが、その時に飯田さんも一緒に来ていたというわけです。 

 

 シマフサラでつかわれるいかだは「バサフニ」と呼ばれます。西へ向かって、ということはつまり、台湾の方へ流されることになるのがこの舟です。「バサ」は「バショウ」を、「フニ」は「船」をそれぞれ意味する島の言葉です。材料は村の中で調達します。

 

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「バサフニ」の材料となるバショウを切り出す斉藤幸平さん(干立公民館行事部長)=午前7時43分撮影

 

 

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「バサフニ」に使うクバとバショウを軽トラが公民館に戻ってきたところ=午前8時9分撮影

 

 

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バショウの幹を7本横に並べ、串刺しにする作業。まず鉄の棒を使って孔を開け、その孔に竹を挿してつないできます。バショウは一本ずつ太さが違い、曲がり方もまちまちなので、棒で刺し貫く作業はかなり難航しました=午前8時25分撮影

 

 

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いかだに組み始めてから30分ほど経ったところ。バサフニの形が見えてきました=午前8時46分撮影

 

 

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 村の人たちは、バサフニづくりと並行して、供物の用意をします。鶏を捧げものにするのですが、その肉は祭祀のあとで村の人たちが一緒に食べる(=共食)ことになっています。共同体のメンバーシップを確認する大切な営みであり、病に負けない体を作るという意味もあります。かつては牛を供物に使っていたということです。筆者は2000年代に石垣島白保地区で同じような行事を取材したことがありますが、やはり動物の生き血で縄を染める場面がありました。このときは「牛の血を使っている」と説明を受けました。

 

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供物として使われる鶏は、今回は8羽。前日までに準備しておいたものを使います=午前7時36分撮影

 

 

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鶏の首を切り、血をしたたらせて縄を染めていきます=午前7時52分撮影

 

 

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シンメーナービ(四枚鍋)に湯をたぎらせ、縄を染めるのに使い終えた鶏を茹でます。風向きが変わると、煙にまかれたようになり、目が沁みました=午前7時59分撮影

 

 

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茹で上がったあと、鶏は毛をむしってしまいます。内臓は供物に、肉は村の人たちの共食のためにこしらえていきます=午前8時0分撮影

 

 

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縄には、鶏の血をしたたらせた跡が点々と残っていました=午前8時4分撮影

 

 このあと、この縄を村の入り口に張り渡すことになっているのですが、その前に祈願を行わなければなりません。八重山の各島々には、集落ごとに「御嶽(オン)」と呼ばれる聖地があるのですが、干立村のシマフサラの場合には、干立御嶽が祈願の場所となります。祈願を行うのは、八重山地方で行われるほかの伝統的な祭祀と同様に、神司(つかさ)と呼ばれる女性の神役です。

 

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御嶽の奥には「イビ」と呼ばれるエリアがあり、ここは女性だけしか入ることができません。神司が祈願を行う様子は外から撮影しました。神司は、祈願の合間に介添え役の女性と何やら言葉を交わしていました=午前9時11分撮影

 

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干立御嶽は、すぐ目の前に海が広がっています=午前9時20分撮影

 

 

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干立御嶽にはマーラン船の絵が掲げられています。この絵が奉納されたのは1827年。当時、台湾では宜蘭平原のカバランで開墾が行われており、清朝1810年、それまで化外の地としていたカバランを版図に組み入れました。この「カバラン」とよく似た呼び名の場所が、バサフニの行先だといいます=午前9時30分

 

 

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祈願を行う神司たち。「白朝衣(しろちょうきん)」と呼ばれる真っ白な衣装を身にまとっています=午前10時18分撮影

 

 神司の祈願が終わると、さきほどの縄の出番となります。

 鶏の血をしたたらせた縄を村の入り口や海に通じる道に張り渡し、悪疫が入り込まないようにするのです。この作業をしているとき、大型のタンクローリーが通りかかる場面がありました。すると、かなり高いところに縄を張らなければ通過できないことが分かったのです。だいたい5メートルぐらいとのことです。伝統的な祭祀は、その時どきの生活に適応しながら続けられてきたことを示す一コマです。

 

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鶏の血をしたたらせた縄を準備します=10時23分撮影

 

 

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はしごを使い、木の高いところに分け入るようにしてようやく張り渡しました=10時31分撮影

 

 

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縄の真ん中あたりに、ニンニクと塩を月桃で包んだものをつるすのが習わしだそうです=午前10時50分撮影

 

 悪疫が他所から入ってこないように支度が済むと、いよいよバサフニを海に流します。これによって、村から悪いものをすべて追い出すことになるわけです。

 

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最後の儀式は海辺で行われます。縄を張る作業が終わるのを待っていた神司たちも祈願を行う場所に向かいます=11時19分撮影

 

 

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バサフニを海に流すための儀式を前に、介添え役の女性が神司の背中のほうで縄を縛っています。宮平盛晃『琉球諸島の動物儀礼 シマクサラシ儀礼民俗学的研究』(2019年、勉誠出版)によると、かつてのシマフサラでは、縄を身に付けた神司たちは村から災厄を追い払うと、そのあと浜辺に行き、身に付けていた縄を燃やしたそうです。こんにち、神司の背中で縄をしばる行為を、宮平氏はその名残とみています=11時23分撮影

 

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供え物はクワズイモの葉に包みます。8羽の鶏の内臓も供えられます=11時34分撮影

 

 

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クワズイモで包んだ供え物は、帆の代わりに立てたクバの葉を風防にするようにして載せられました。燃やされている縄は神司が身に付けていたもの。海に流すときには、ここにさらに泡盛の三合瓶も添えられました=11時40分撮影

 

 

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サバフニが出航しました。カヌーで沖まで曳いていってから放します。そうしないと、隣村の祖納に流れ着いてしまうことがあるのだそうです=11時41分撮影

 

 

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カヌーは10分ほどサバフニを曳いていきました。その様子を、浜辺で儀式を終えた神司らが見守っています=11時42分撮影

 

 

 儀式が終わると、村の人たちが一緒に食事をする時間です。筆者はあいにく島を離れなければならなかったので、写真だけ撮らせてもらいました

 

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共食の会場は干立公民館です。「ジューシー」という島ならではの炊き込みご飯も一緒に食べます。筆者はそのおにぎりをお土産にいただきました=12時22分撮影

 

 この記事では、以下の文献を参考にしました。

竹富町教育委員会編集・発行『竹富町文化財第5集 国指定重要無形民俗文化財 西表島の節祭(干立編)』(1997年)

〇本田昭正編『波照間島の歴史・伝説考-仲本信幸遺稿集』(2004年、私家版)

〇宮平盛晃『琉球諸島の動物儀礼 シマクサラシ儀礼民俗学的研究』(2019年、勉誠出版