台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

龍山寺から煙が消えた

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線香を手にする人

龍山寺ではこの日を最後に、境内で線香を奉げることができなくなった

=2020年3月12日(松田良孝撮影)

 

 18世紀半ばに開かれた台湾を代表する寺廟、龍山寺で13日、それまで実施していた線香の無料配布を取りやめた。線香を持参することも控えるよう呼び掛けており、境内が線香の煙に包まれる光景は過去のものとなった。大気汚染などに配慮したもので、2月29日付「自由時報」によると、原則として線香の使用を禁止するのは、台湾の主要な寺廟としては行天宮に続いて2か所目となる。香炉は境内中央にそのまま置かれている。龍山寺は、2019年4月15日にパリのノートルダム大聖堂で火災が起きたことを受けて、火災予防と環境保護の観点から、5月からろうそくの燭台を撤去している。海外の観光客にも人気の伝統スポットは、社会の関心事や環境問題に柔軟に対応しながら時代に合わせて祈りの形を変化させている。

 

 ただ、線香の煙が消えた境内では、香炉からあふれんばかりの煙を体に振りかけるような所作や、数珠やおみくじを香炉の上で回して煙を浴びさせるような所作を行う人は多数見られた。香炉と関連付けられた体の動きは、煙が消えてもそのまま残るのかもしれない。

 

 

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ろうそくを灯す

=2019年4月27日(松田良孝撮影)

ノートルダム大聖堂の火災を機に、龍山寺ではすべての燭台を撤去した

 

健康のため

 

 焼香は、香り、煙、火の三要素からなる。その作用は多岐に渡るが、煙によって神と通じることや、その香りによって邪なものを忌避することが特に重視される(野口鐵郎ら編「道教事典」平河出版社、1994年、p271)。神様と意思を通じ合わせるためのツールということである。

 その無料配布の最終日となった2020年3月12日、龍山寺を訪れた。本殿の入り口に次のような看板が立っていた。

 「大いなる愛で民衆を庇護する観世音菩薩の御心の下、すべての参拝者が心から神に祈り、そして健康でいられるようにとの願いから、本山は3月13日(旧暦2月20日)より、線香の提供を停止します。線香を持参することもお控えください。ご迷惑をおかけしますが、ご了承いただきますようお願い申し上げます」(原文中国語、拙訳)

 観世音菩薩は龍山寺の主神である。

 

2005年から取り組み

 

 龍山寺の管理委員会は3月2日、ホームページ(HP)で線香の無料提供を取りやめることについて説明している。管理委員会はこの中で、境内の空気を清浄する必要性を指摘し、「合掌を以て線香に代え、環境が永続的に続くよう祈ってほしい。環境を守るとともに、民衆の健康を保障するためでもある」としている。

 今年の春節旧正月)には、大みそかに当たる1月24日から旧1月3日の27日までの4日間、試験的に線香の無料提供を取りやめた。これについて、HPでは「(境内の)空気は明らかによくなった。線香を提供しなかったからといって参拝者が減ることもなかった。環境に配慮した参拝の在り方が信徒にすでに理解されている」と評価し、線香の無料提供は理解されていると説明している。

 線香を減らす取り組みは突然に始まったわけではない。

 2017年7月24日付「聯合報」によると、龍山寺は2005年から線香を減らし始め、それまでは7つの香炉に3本ずつ線香を供えていたのを、香炉ごとに1本にした。香炉の数はその後も減らし、2016年5月には4つとした。さらに2017年6月には1つに減らしていた。

 

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香炉から煙が立ち上っていたときと同じ所作をする人

=2020年3月14日(松田良孝撮影)

 

 

「最低1本は必要」の意見も

 

 もちろん台湾にある寺廟すべてが線香のとりやめを受け入れているわけではない。2017年7月24日付「聯合報」は、中部雲林県にある廟の責任者の発言として「香火不能断」と報じている。「香火」(=線香に火を付けて供えること)は、絶やすわけにはいかないということだ。香炉に1本の線香が最低限必要だと訴えている。

 これは、台湾政府の環境衛生当局が大気汚染を改善することを目的に、線香や紙銭を減らすよう呼びかけたことに応じた発言である。信教の自由の観点から、台湾政府としては宗教活動の在り方に口出しはできない。そこで、線香や紙銭の品質を改善し、燃やしても有害物質が出にくいようにするとか、燃やす量を減らすとかといった点で協力を求めていたというわけである。

 ただ、龍山寺と並んで台北の観光スポットとしても著名な行天宮は、2017年の時点ですでに境内から香炉を撤去している。撤去の当初は信徒から不満が寄せられたが、現在は、9割は受け入れられ、空気もきれいになったとしている。参拝者はむしろ増加したという。

 

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龍山寺。周辺にビルが建ち並ぶ
境内の香炉(左手前)は撤去せず、そのまま置かれている

=2020年3月14日(松田良孝撮影)

 

寺廟の南北ギャップ

 

 筆者の個人的な受け止めとしては、独特の香りが消えた寺廟の清浄さには違和感を禁じ得ない。外国人の一方的な思い入れであることは分かっているのだが、最後の1本だけは残しておいてほしかったというのが正直なところである。台北市内であれば、保安宮や松山の慈祐宮など著名な寺廟で今も線香を焚いているところがあるし、中南部に足を伸ばせば、むしろ逆にたくさん炊かなきゃだめだという人たちがたくさんいる。線香をめぐる、あるいは、紙銭をめぐる南北ギャップに着目することで、寺廟が「今」とどう向き合うのか/向き合わずにスルーしていくのかを見ていこうと思う。