豚を一頭丸まんま供えて神の祈る土地公祭(とちこうさい)は、沖縄県八重山地方に暮らす台湾系の人たちを特徴づける行事だ。石垣島の各地に点在する伝統的な聖地、御嶽(オン)のひとつである名蔵(なぐら)御嶽を会場に借り、旧暦の8月15日に開かれている。拝んでいるのは、道教の土地神のひとつ、「土地公」。島内では、土地公を祀った廟の整備が進められており、名蔵御嶽を会場とする土地公祭は2020年が最後となる可能性がある。80年以上の歴史を持つ伝統行事を振り返ってみたい。
土地公祭の風景
筆者がこれまでに目にした写真で最も古いものは、1952年の撮影とされるモノクロのカットである。画面に写り込んだ人びとはざっと数えて約40人。ブタを丸まんま供えているところ点は今と変わらない。豊かな木々に囲まれた名蔵御嶽が、たくさんの人びととブタを中心とする供え物によって彩られることによって、土地公祭の風景が生み出されてきたことが分かる。
社会とかかわりながら
相違点もある。
丸まんまのヤギがブタに乗っかっていたり、供え物の魚や鶏をテーブルに置かずにぶら提げたりしているところである。BSE(牛海綿状脳症、狂牛病)の対策が2002年に強化されたことにより、ヤギの頭部は屠畜後に切り落とすことが義務付けられ、丸まんまで供えることができなくなったのだ。当時の土地公祭参加者は、ヤギは丸ごとでなければ供え物の用をなさないとして、この年の土地公祭からブタだけを供えることになった。土地公祭という伝統の分野も、社会の趨勢と無縁でいるわけにはいかないのである。
台湾系の人たちはこの当時は、石垣島の南西部にある名蔵地区や嵩田(たけだ)地区で暮らし、ほとんどが農業時に従事していた。このあと、ここに写っている人たちの何割かは石垣島の市街地へ出ていき、青果物卸商を営むなど2次産業に移っていく。そう考えながらこのカットを見ると、写っている人たちの年齢層がバラけていて、青壮年や子どもたちの姿が多いように思える。台湾系の人たちは総体として若く、さまざまな可能性を秘めていた。