台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

「ネコ村」と台湾映画(中)

夫を探しに

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 「無言的山丘」が呉念真のエッセー「另一個九份(もう一つの九份)」に登場するのは、侯硐にある一つの伝説に触れた部分である。

 この伝説は、金鉱を探しにきた2人の日本人男性が主人公。一方の男性は亡くなり、もう一方がその遺骨を日本に持ち帰ったのだが、亡くなった男性の妻はそれを知らずに台湾まで探しに訪れ、そこで夫の死を聞かされる。妻は夫の訃報を聞くなり病に倒れ、九份で亡くなったという。

映画のモデル?

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 呉はこの伝説を忘れることができずに「無言的山丘」の脚本を書いたということなのだが、この2人の男性は、映画の主人公である「阿助」と「阿尾」の兄弟のモデルになったのか。「阿助」は炭坑の事故で死亡ことになるのだが、原因は違えども、2人の男のうち1人が死亡するという設定は伝説と同じだ。

 鉱夫と結婚しては亡くしということを繰り返し、1人で子どもを育てている「阿柔」は九份で亡くなったという伝説上の女と重なる部分があるが、どうなのだろうか。

「いつも雨が降っている」

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 私は2012年2月と2012年11月に侯硐を訪ねた。呉が「另一個九份」で「いつも雨が降っている」と書いている通り、私が訪問したときも2度ともそんな天候であった。

 侯硐は当時すでにネコ村となっており、また、私はそのときすでに「無言的山丘」を見ていたのだが、その間に関係があるとはつゆ知らず、猫だけを目当てに行ったのである。

 この村が「ネコ村」として知られるようになったのは簡佩玲さんという女性のためだといっていい。台湾特集の「pen+」は「猫婦人が目指す、人と猫との幸せな関係」という見開きのページを設け、猫婦人こと簡佩玲さんのインタビューを交えながら、侯硐のことを紹介している。それによると、簡さんは猫と古い街並みの撮影ポイントを探すうち、2009年に侯硐の存在を偶然に知ったのだという。

 それはおそらく呉が「另一個九份」を書いた後のことであろう。

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 ※「另一個九份」は呉念真(2002)「台湾念真情」(麥田出版,台北)。本稿執筆には2014年2月発行の第2版18刷を使用した。原文は中国語で、本稿では拙訳を用いた。