2015-01-01から1年間の記事一覧
ポイントは旧暦 このところ、翌年の暦が売り出されるタイミングで台湾を訪れるチャンスに恵まれていて、MIT(made in Taiwan)の暦を手に入れることができている。日本など海外から入ってくる暦もまだまだ多いが、台湾製の暦も増えているように思う。 2014年…
八重山に定着 かつて台湾の人たちが石垣島など八重山に連れてきた水牛。今では八重山の観光を象徴するモチーフとなり、あたかも、もともと八重山にいたかのような顔をして歩いている。それほどまでに定着し、竹富島や西表島・由布島で水牛車として活躍してい…
高いか安いか 台北の延平北路三段にあるファミリーマートでオリオンビールが売られていた。話には聞いていたが、ようやく現認した。 350ミリリットル缶が49元。日本円にすると、180円ほど。この値段は安くもなく高くもなくということになるが、写真の上段に…
JTA機にヤマネコ発見50年のステッカー JTAに乗ったら、入り口の右側にイリオモテヤマネコの発見50年を記念したステッカーが張ってあった。報道によると、2015年12月19日から来年3月31日まで、同社が保有するボーイング737―400型機9機で実施するとのこと。 …
お互い様 台北のMRT民権西路駅でエレベーターのところにあったデザイン。 「『どうぞ』って言おう」 「ありがとう」 文字にすると、押しつけがましくなってしまうこともあるが、デザインによって親しみやすくなっているように感じる。「請」の文字にお年寄り…
www.youtube.com 台湾のテレビ局、民視の「台灣演義」というプログラムで「八重山 台灣移民血涙史」という番組が放送されました。石垣島や西表島など沖縄の八重山地方に住む台湾系の人たちを取り上げています。2015年12月20日の放送で、Youtubeで視聴するこ…
眺めがいいのかな。 小雨模様で、どんよりとした曇り空。クリスマスの午前中。 スイッチの入った冷蔵庫は外に熱を発していることがあるので、ネコが乗っかっていても違和感はないのだけれども、ここは屋外の古道具屋にある、コンセントの入っていない冷蔵庫…
こういうことをやってくれるから、与那国町は嫌いになれない。 先日自宅の郵便受けを見ると、与那国町役場からの封書が届いていて、「御礼」という文字。切手には与那国郵便局の風景印付きである。 中を見てみると、2015年9月に与那国を襲った台風21号に対…
2010年にスタートしたURS 2015年4月に迪化街を歩いた時、バロック建築の建物をギャラリーにしたところがあった。新たな文化によって旧来のコミュニティーを再生させようと、台北市が2010年にスタートさせた都市再生前進基地(Urban Regeneration Station、U…
「琉球政府立医学図書館」という看板 牧志の路地を歩いていたところ、「アンティークショップしんあい」という店に「琉球政府立医学図書館」という看板が置いてあるのを見付けた。説明もなく、とんっと店先に置かれている景色が誠に素朴である。 調べてみる…
水路に架かる橋のそば その場所は県道に沿った郊外にあり、自動車はたまに走ってくる程度。去っていくと、静けさが戻ってくる。家はぽつんぽつんとしか見えない。 映画「KANO」に取り上げられたことであらためて関心を呼んでいる台湾の大規模灌漑施設「嘉南…
350円 沖縄県公文書館へ行ったときに昼飯を世話になっているお店。那覇バスの新川営業所にある。今回は軟骨ソーキそばにしてみた。350円。 なるべくバス 意地を張っているわけではないが、なるべくタクシーには乗らず、バスを利用するようにしているので、移…
バスに乗るときには注意 沖縄県公文書館へ向かっていたとき、安里のバス停で乗り換えようとして右往左往してしまった。市外線から市内線に乗り継ぐときに起きたもので、同じ名前のバス停でも市内線と市外線とでは違う場所に停留所が立っているという、ありが…
変化する永楽市場 台北市の迪化街にある永楽市場で整備が行われており、訪れるたびにその姿が少しずつ変化している。2015年4月に訪れたときに工事が行われていた場所は、半年後の10月には広場としての整備が終わり、通行できるようになっていた。次に行った…
「マイクはダメ」 非常に雑多なムードがあますところなく発揮されていて、大変好ましい市場です。「龍泉市場自治会」なる組織が「マイクの使用厳禁」などという注意書きを掲げているところをみると、かつてはなかなか元気のある場所だったのかなどと想像が膨…
雙連市場 MRT雙連駅のすぐそばにある雙連市場。最近は一部のガイドブックで紹介されたりもしているので、レア感は徐々に薄れてきていますが、それでも観光客に会う確率は低く、台湾の人たちの熱気を存分に浴びることができるポイントです。 7月に台湾を訪ね…
山東桃酥 「山東桃酥」というクッキーをいただきました。新北市永和区(旧永和鎮)の「好記食品」というところが製造しているものですが、台湾では広く知られたものなのでしょうか。ふわりとした食感できめが細かく、濃密な味わいがあります。 中国語教室で…
不完全燃焼に光明 八重山と旧満州(現在の中国東北部)のかかわりを初めて意識したのは2011年12月のこと。沖縄本島の石川から石垣島に移り住んできた男性のライフヒストリーをうかがっていて、満蒙開拓で中国大陸に渡ってから徴兵され、戦後はシベリアで抑留…
ミゼットのそば 三輪のミゼットにレンズを向けてみたところ、そこは居酒屋になっていて、壁に「歡迎光臨台灣」とありました。日の丸と中華民国旗らしきイラストも付いています。浮島通りで出会った風景です。 浮島通りは要チェックの場所だと思う。ちょっと…
もう少し広ければ おととい、いつも通る道を歩いていると、子ネコの鳴き声がして足を止めた。今しがた脇を通り過ぎたばかりのところにマンションがあり、そのごみ置き場にお腹がぺったんこになったネコがいた。たぶん、鳴いている子ネコのお母さんでしょう。…
製糖鉄道と軽便? 日本と台湾の間で鉄道会社が協定を結んでいる話は聞いていたが、実際に目撃したのは初めてのこと。西武池袋駅での一コマ。 台湾と沖縄でも何かできないかな。 製糖鉄道と軽便とか。
第1回はこちら。 万一のために 「非常袋」と書かれた長さ40センチほどの袋が残っている。嵩本(たけもと)伸さん=石垣市字新川出身=はこの袋を台北市の上奎府(かみけふ)町から天母、台中と持ち歩き、長男の安意(あんい)さんに「お母さんが死んでも、…
第1回はこちら。 引く手あまた 嵩本安意(たけもと・あんい)さんら一家が疎開した地域は農村地帯で、田植えが行われることもあった。母親の伸さんは、出身地の石垣島字新川で農業していただけに、手伝いに呼ばれると楽々と苗を植えていった。その手際は現…
第1回はこちら。 台中へ移動 第二の疎開先となった台中へは汽車で行った。上奎府(かみけふ)町の自宅から天母へ移動するときは嵩本伸さん=石垣市字新川出身=が荷物を頭に載せて運んだりもした(連載5参照)が、台中へ行くとなるとそうはいかない。伸さ…
第1回はこちら。 着物で物々交換 嵩本安意(たけもと・あんい)さんの母、伸さん=石垣市字新川出身=が結婚前、台北の歯科医に奉公していたことがあり、石垣島へ戻るときに何枚もの着物をもらったことはこの連載の(1)で書いた。 疎開先の天母ではこの着…
第1回はこちら。 防空訓練 1944年4月に建成国民学校の1年生になった嵩本安意(たけもと・あんい)さん=石垣市字新川出身=は、母、伸さんが防空訓練でバケツリレーをしていたことを覚えている。火が付いて燃えていると想定した家を決め、はしごを運んで走…
ネコ村へのアクセス ネコ村のある侯硐(猴硐、ほうとん)へ行く時、八堵(はっと)という駅から行ってみたことがある。日本の江ノ電との交流で話題になった平溪線の一日乗車券を、八堵では買うことができ、私はそれを買ってからまずネコ村に向かい、そこから…
大塚は好きな街のひとつです。都電の風景に、肩の張らない空気を感じることができるのがいい。 その日は明るい冬空の朝で、少し早めに宿を出て、いい具合に曲がりくねったレールを小さな電車が走っていくのを見ることにしました。 日曜日のことです。 どこへ…
オキコが台湾“参入” 沖縄県内のパン製造大手、オキコ(西原町、仲田龍男社長)が台湾ファミリーマート(葉榮廷董事長、全家便利商店)との共同出資で台湾に合弁会社を設立し、台湾ファミマにパンを供給することになった。「沖縄タイムス」が2015年12月4日付…
第1回はこちら。 ゆかりの地でアート もともと芸術を語る言葉など持っていない私に、アートに触れるきっかけを与えてくれたのは台湾だと思っている。石垣島など八重山の人たちとゆかりのある場所を歩いてみると、そこがアートやデザインとかかわりの深い場…