台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

2015-01-01から1年間の記事一覧

横断歩道を渡っていた。

こんなのがいるのですね。 「沖縄おもろおばけ屋敷」のキャラクター「まじむー」。

車の下。

探そうという気があったわけではない。 あっちが勝手にこっちの視界に入ってきたのだ。

シーサーと猫

悪くない組み合わせだなぁと思いながら、何枚も撮っていたのですが、ファインダーを覗いているうちに、もしかしたら、ちょっとイヤかも、とか思ってしまった。虎の威を借るみたいで。 ま、ネコなんで、全然OKですが。

テーマは密貿易 与那国であす(4日)講演

DiDi与那国交流館 与那国島歴史文化交流資料館「DiDi与那国交流館」のプレオープン企画第2弾が2015年12月4日午後7時から与那国町保健センター大ホールで開かれます。小池康仁さん(法政大学沖縄文化研究所)が「『密貿易』に集まるヒトとモノ」をテーマに…

台湾石垣-行きつ戻りつ 嵩本安意さん(3)

第1回はこちら。 転職 石垣市新川出身の嵩本(たけもと)さん一家は1939年6月、基隆から台北に移る。安意(あんい)さんが1歳半のときのことである。父、正宜(せいぎ)さんは13年近く勤めた徳丸質屋を辞め、台北で郵便保険の募集をすることになったのだ…

池間苗さんがカジマヤー

さすが 池間苗さんが数え97歳のカジマヤーを迎え、その記念に、与那国町にある小学校と中学校に図書購入費を寄付したという記事が掲載されていました。この記事を読んで、さすが池間さんだと思わずにいられませんでした。 与那国民俗資料館 私が池間さんから…

おどおどするなら、出てこなければいいのに。

小さな折り畳み椅子の下では、身を隠した気分に離れなかったのでしょう。終始おどおどしていました、このネコは。すぐ目の前は商店街。人通りも、車の往来も、けっこうある場所なのです。

台湾石垣-行きつ戻りつ 嵩本安意さん(2)

第1回はこちら。 獅球嶺から港を一望 私が基隆に行ったのは最近では2015年4月のことだが、そのときはちょうど、新しい駅舎が姿を現しつつあった。台湾での報道によると、この新しい駅は2015年6月29日にすでに使用が開始されているそうだ。次回の訪問が楽…

猫の続報

11月24日の紹介した猫どもの続報です。 12月最初の日は雨。 しかし、寝床にしているごみ箱にいれば、濡れずに済むことが判明。しかも、珍しいことに、2匹で同じ向きになって眠っていました。お互いに足と顔をくっ付け合って寝ていることもあるくせに。

台湾石垣-行きつ戻りつ 嵩本安意さん(1)

基隆 深い懐にいくつもの巨艦を浮かべる台湾の港町。 日本が台湾を統治していたころ、石垣島など八重山のあちこちから大勢の人たちもここから台湾に上陸し、働きに、進学にとそれぞれの目的に向かって出発し、あるいは、この港町で暮らしました。石垣島から…

「はるかなるオンライ山」の試写

台湾人の姿 先輩のジャーナリスト、藤野雅之さんからメールをいただいた。24日に東京の台湾文化センターで開かれたドキュメンタリー映画「はるかなるオンライ山」の試写に参加なさったとのこと。 taiwanokinawa.hatenablog.com 藤野さんとは、2007年10月に台…

台湾のオリオンビール

「この一杯のうまさのために。」 あのときは、まったくいいタイミングでした。 7月下旬、とある仕事の視察で台北を歩いていた時のこと。その日最後の訪問先は台湾総督府の松山煙草工場をリノベーションした松山文創園区で、最近の台湾を象徴するようなデザ…

「ネコ村」と台湾映画(下)

「九份のようだ」 呉念真のエッセー「另一個九份」がいつ書かれたかははっきりしないが、侯硐がネコ村として名を馳せる前であることは間違いない。エッセーは「侯硐は十数年前の九份のようだ」と綴られ、閉山から十数年たった九份が「大勢の人によって名を知…

「ネコ村」と台湾映画(中)

夫を探しに 「無言的山丘」が呉念真のエッセー「另一個九份(もう一つの九份)」に登場するのは、侯硐にある一つの伝説に触れた部分である。 この伝説は、金鉱を探しにきた2人の日本人男性が主人公。一方の男性は亡くなり、もう一方がその遺骨を日本に持ち…

「ネコ村」と台湾映画(上)

「無言的山丘」 沖縄と台湾の関係を語るうえで欠くことのできない映画に1992年の台湾映画「無言的山丘」(王童監督、英題「Hill of No Return」)がある。邦題を「無言の丘」というこの作品では、金鉱として栄えた台湾北部の金瓜石やそのすぐそばで繁華街と…

きょうは風が強い

2015年11月19日に猫がいた場所に、今度は2匹。 こんなに天気がいいのに、わざわざ日陰にと思わないでもありませんが、もしかすると、風があんまり強いから、窪みを選んだのかな。

八重山台湾史の生き証人、白保英行さん逝く

台南の駅 番子田(ばんしでん)駅は日本が台湾を統治していた時に台南にあった駅の名前で、今は「隆田」という名前になっている。 先月下旬、台南から北上していた私は台湾新幹線ではなく在来線に乗っていて、ぼんやりと車窓を眺めていたのだが、たまたま隆…

台湾と那覇の百貨店

那覇に菊元を思う 那覇市歴史博物館で「『昭和のなは』復元模型」を見ていて、日本が統治していたころに台北でオープンした菊元百貨店のことを思い出した。 戦前の昭和期、那覇も台湾もどちらも訪ねたことがあるという与那国島の女性からお話をうかがってい…

台湾レトロな「サトちゃん」

読谷でガンバッテイル薬局 読谷村で用事を済ませ、さて帰ろうかとバス停の周辺を見回したところ、ガンバッテイル薬局を発見しました。「やまびこ薬局」というお店です。 佐藤製薬のサトちゃんが2人、サトコちゃんが1人、エスエス製薬のピョンちゃんが2人…

ゆいレール

沖縄都市モノレールができて、便利になったと思う。しかし、定時性が生命線なので、どうしても沖縄らしさとはズレてしまう。沖縄の人は、集まりが時間通りに始まらないことを、時に誇らしげに語る。その誇らしさがあるうちは、定時性はありがたいものではあ…

丸テーブルにドデン

定位置に姿なし 2015年11月17日の「猫ですが、ねているわけではありません」でお知らせした「別宅」についてです。 その日は、最近少し気になりだしているアーケード街2階の喫茶店を訪ねる前に卸屋さんの前を通り、ネコどもが大学生ぐらいの若者たちに取り囲…

沖映通りのラーメン屋「暖暮」に行ってみた。

日本語で通す 驚いたのは、外で行列にしている客に日本語が通じようが通じまいがお構いなしに、店員が「何名様ですか」と日本語で尋ねていること。そして、台湾、中国、香港、韓国などから来たとおぼしき客たちがほとんど例外なく質問の内容を理解し、指を使…

キノコがここに

腕立て伏せをする回数を少し増やした。

いつも見かけるヤツ。カメラを向けたら、爪を出したり引っ込めたりした。目は少しだけ開けたようだが、はっきりとは確認できず。

与那国の人が台湾にヒノキの山を持っていた

かつて台湾にヒノキの山を持っていたという与那国島の人が、出身地の祖納に建てた家には、レトロな風合いのタイルをはめ込んだヒンプンと塀が残っています。与那国島と台湾は最も近いところで111キロしか離れておらず、人々が頻繁に行き来した時代があっ…

歩道橋

平日の午前中。 那覇にあるセルラースタジアム前の歩道橋は、人なんかまったくいなかったのに、沖縄本島北部から学校のマイクロバスが停まって、子どもたちが降りてきて、歩道橋をいい具合に埋めていった。

二つの中国語

「新年快楽」 少し気が早いかもしれませんが、新年のごあいさつの練習。 台湾なら「新年快樂」。 中国大陸なら「新年快乐」。 どちらも日本語でなら「新年快楽」。 よく知られていることですが、台湾や香港で使われる中国語の漢字は「繁体字」で、中国大陸な…

中国語教室でお菓子

台湾らしい、複雑な美味 中には冬瓜や茸が入っていると聞けば納得です。 「鴛鴦(オシドリ)」味は楽しみに取っておきます。

東平安名崎

秋空 10日ほど前のことになりますが、石垣から那覇へ向かう飛行機から東平安名崎が見えました。いつもなら、宮古は進行方向左手に見えるのですが、島の隅のほうが左側にはみ出しているときがたまにあります。 晴天で、雲がいい具合に散っていました。

猫ですが、ねているわけではありません

牧志で見かけたネコ。ずっと寝ている。考えているという説もあるが、どうなのかな。