揺れる道の奥
那覇市寄宮の県立図書館へ行くためのルートになっていることもあって、開南と与儀十字路を結ぶ県道222号はバスでしばしば通っている。この区間は、路線バスの運転手がいちいち「揺れるのでご注意を」と車内アナウンスをしてくれる珍しい区間なのだが、それも数年後になくなっていることだろう。あちこち虫食いのように立ち退きが行われているから、いずれは改修工事によってすっきりとした路面に生まれ変わるであろうことは素人目にそれははっきりと分かる。
与儀十字路の近辺も、拡幅やら、立ち退きやらで風景が変わっていくに違いないと予想して、開南食堂へ昼飯を食いにいくついでに、立体交差のところにあるバイク屋から少し中に入って路地を歩いてみた。
木のベランダ
名前があるのかないのか分からない水路だか川だかに橋が架かっていて、欄干に「大工・増改築・内装・見積無料」という手製の看板が据え付けてあり、連絡先の電話番号が載っていたりなんかする。その橋から水路(川)を眺めてみると、木のベランダとか、洗濯物の列がのぞいていた。
この辺りが直接立ち退きや拡幅の対象になることはないと思われるが、県道の改修工事がそばにやってきたら、目隠しの代わりになっていた通り沿いの建物が消え、往来からよく見えるようになってしまうのではないか。大きめの台風が来た時に風雨を遮ってくれる建物もなくなってしまうのではないか。他所事ながら心配になった。
となるといずれは、老朽化を理由にしたりしながら、鉄筋コンクリートの建物になっていくのかもしれない。
路地歩きが好きな私としては、それはそれで残念なことではあるが、長い目でみると、一種の必然の成り行きなのだと思わせられるセリフが私の好きな小説の中にある。
釈迦と孫悟空
小松左京は『日本沈没』(1973年)のなかで、日本の沈没をいち早く見抜いた科学者として登場する田所博士にこんなことを言わせている。
「炭酸カルシウムを定着させて、共同骨格をつくるという点で、造礁珊瑚と、コンクリートの近代都市をつくる人間と、どれほどちがうか?」
科学的な知識などなかったとしても、石垣島などに住んでいれば、サンゴ礁が、人に住む土台を与えてくれていることは分かる。となれば、そこにどんな建物を造ろうとも、所詮は、どんなに遠く飛んでみても釈迦の手のひら(≒自然)から逃れることができない孫悟空(≒人)のようなものなのか。どうしたって、ものごとが一定の方向に進んでいくのはあらかじめ決まっていることなのだよ、と。
のんびりと、アッという間に
道路工事や建物の建築工事は、そばで見ていると、いらいらするほどのんびりしているように感じられるが、しばらく行かないでいると、光景がまったく違ってしまっていたりするから油断ならない。県立図書館には、そうしょっちゅう行くわけではないので、次に行ってみたら、件の路地がいきなり模様替えなんてこともあるかもしれないが、それは果たしてどのような装いをこらされているのやら。