台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

沖縄

台湾石垣-行きつ戻りつ 嵩本安意さん(7)

第1回はこちら。 台中へ移動 第二の疎開先となった台中へは汽車で行った。上奎府(かみけふ)町の自宅から天母へ移動するときは嵩本伸さん=石垣市字新川出身=が荷物を頭に載せて運んだりもした(連載5参照)が、台中へ行くとなるとそうはいかない。伸さ…

台湾石垣-行きつ戻りつ 嵩本安意さん(6)

第1回はこちら。 着物で物々交換 嵩本安意(たけもと・あんい)さんの母、伸さん=石垣市字新川出身=が結婚前、台北の歯科医に奉公していたことがあり、石垣島へ戻るときに何枚もの着物をもらったことはこの連載の(1)で書いた。 疎開先の天母ではこの着…

台湾石垣-行きつ戻りつ 嵩本安意さん(5)

第1回はこちら。 防空訓練 1944年4月に建成国民学校の1年生になった嵩本安意(たけもと・あんい)さん=石垣市字新川出身=は、母、伸さんが防空訓練でバケツリレーをしていたことを覚えている。火が付いて燃えていると想定した家を決め、はしごを運んで走…

八堵 地味で大事な存在

ネコ村へのアクセス ネコ村のある侯硐(猴硐、ほうとん)へ行く時、八堵(はっと)という駅から行ってみたことがある。日本の江ノ電との交流で話題になった平溪線の一日乗車券を、八堵では買うことができ、私はそれを買ってからまずネコ村に向かい、そこから…

台湾のコーヒーと沖縄のパン

オキコが台湾“参入” 沖縄県内のパン製造大手、オキコ(西原町、仲田龍男社長)が台湾ファミリーマート(葉榮廷董事長、全家便利商店)との共同出資で台湾に合弁会社を設立し、台湾ファミマにパンを供給することになった。「沖縄タイムス」が2015年12月4日付…

台湾石垣-行きつ戻りつ 嵩本安意さん(4)

第1回はこちら。 ゆかりの地でアート もともと芸術を語る言葉など持っていない私に、アートに触れるきっかけを与えてくれたのは台湾だと思っている。石垣島など八重山の人たちとゆかりのある場所を歩いてみると、そこがアートやデザインとかかわりの深い場…

横断歩道を渡っていた。

こんなのがいるのですね。 「沖縄おもろおばけ屋敷」のキャラクター「まじむー」。

テーマは密貿易 与那国であす(4日)講演

DiDi与那国交流館 与那国島歴史文化交流資料館「DiDi与那国交流館」のプレオープン企画第2弾が2015年12月4日午後7時から与那国町保健センター大ホールで開かれます。小池康仁さん(法政大学沖縄文化研究所)が「『密貿易』に集まるヒトとモノ」をテーマに…

台湾石垣-行きつ戻りつ 嵩本安意さん(3)

第1回はこちら。 転職 石垣市新川出身の嵩本(たけもと)さん一家は1939年6月、基隆から台北に移る。安意(あんい)さんが1歳半のときのことである。父、正宜(せいぎ)さんは13年近く勤めた徳丸質屋を辞め、台北で郵便保険の募集をすることになったのだ…

池間苗さんがカジマヤー

さすが 池間苗さんが数え97歳のカジマヤーを迎え、その記念に、与那国町にある小学校と中学校に図書購入費を寄付したという記事が掲載されていました。この記事を読んで、さすが池間さんだと思わずにいられませんでした。 与那国民俗資料館 私が池間さんから…

おどおどするなら、出てこなければいいのに。

小さな折り畳み椅子の下では、身を隠した気分に離れなかったのでしょう。終始おどおどしていました、このネコは。すぐ目の前は商店街。人通りも、車の往来も、けっこうある場所なのです。

台湾石垣-行きつ戻りつ 嵩本安意さん(2)

第1回はこちら。 獅球嶺から港を一望 私が基隆に行ったのは最近では2015年4月のことだが、そのときはちょうど、新しい駅舎が姿を現しつつあった。台湾での報道によると、この新しい駅は2015年6月29日にすでに使用が開始されているそうだ。次回の訪問が楽…

台湾石垣-行きつ戻りつ 嵩本安意さん(1)

基隆 深い懐にいくつもの巨艦を浮かべる台湾の港町。 日本が台湾を統治していたころ、石垣島など八重山のあちこちから大勢の人たちもここから台湾に上陸し、働きに、進学にとそれぞれの目的に向かって出発し、あるいは、この港町で暮らしました。石垣島から…

「はるかなるオンライ山」の試写

台湾人の姿 先輩のジャーナリスト、藤野雅之さんからメールをいただいた。24日に東京の台湾文化センターで開かれたドキュメンタリー映画「はるかなるオンライ山」の試写に参加なさったとのこと。 taiwanokinawa.hatenablog.com 藤野さんとは、2007年10月に台…

台湾のオリオンビール

「この一杯のうまさのために。」 あのときは、まったくいいタイミングでした。 7月下旬、とある仕事の視察で台北を歩いていた時のこと。その日最後の訪問先は台湾総督府の松山煙草工場をリノベーションした松山文創園区で、最近の台湾を象徴するようなデザ…

「ネコ村」と台湾映画(下)

「九份のようだ」 呉念真のエッセー「另一個九份」がいつ書かれたかははっきりしないが、侯硐がネコ村として名を馳せる前であることは間違いない。エッセーは「侯硐は十数年前の九份のようだ」と綴られ、閉山から十数年たった九份が「大勢の人によって名を知…

「ネコ村」と台湾映画(中)

夫を探しに 「無言的山丘」が呉念真のエッセー「另一個九份(もう一つの九份)」に登場するのは、侯硐にある一つの伝説に触れた部分である。 この伝説は、金鉱を探しにきた2人の日本人男性が主人公。一方の男性は亡くなり、もう一方がその遺骨を日本に持ち…

「ネコ村」と台湾映画(上)

「無言的山丘」 沖縄と台湾の関係を語るうえで欠くことのできない映画に1992年の台湾映画「無言的山丘」(王童監督、英題「Hill of No Return」)がある。邦題を「無言の丘」というこの作品では、金鉱として栄えた台湾北部の金瓜石やそのすぐそばで繁華街と…

八重山台湾史の生き証人、白保英行さん逝く

台南の駅 番子田(ばんしでん)駅は日本が台湾を統治していた時に台南にあった駅の名前で、今は「隆田」という名前になっている。 先月下旬、台南から北上していた私は台湾新幹線ではなく在来線に乗っていて、ぼんやりと車窓を眺めていたのだが、たまたま隆…

台湾と那覇の百貨店

那覇に菊元を思う 那覇市歴史博物館で「『昭和のなは』復元模型」を見ていて、日本が統治していたころに台北でオープンした菊元百貨店のことを思い出した。 戦前の昭和期、那覇も台湾もどちらも訪ねたことがあるという与那国島の女性からお話をうかがってい…

台湾レトロな「サトちゃん」

読谷でガンバッテイル薬局 読谷村で用事を済ませ、さて帰ろうかとバス停の周辺を見回したところ、ガンバッテイル薬局を発見しました。「やまびこ薬局」というお店です。 佐藤製薬のサトちゃんが2人、サトコちゃんが1人、エスエス製薬のピョンちゃんが2人…

ゆいレール

沖縄都市モノレールができて、便利になったと思う。しかし、定時性が生命線なので、どうしても沖縄らしさとはズレてしまう。沖縄の人は、集まりが時間通りに始まらないことを、時に誇らしげに語る。その誇らしさがあるうちは、定時性はありがたいものではあ…

沖映通りのラーメン屋「暖暮」に行ってみた。

日本語で通す 驚いたのは、外で行列にしている客に日本語が通じようが通じまいがお構いなしに、店員が「何名様ですか」と日本語で尋ねていること。そして、台湾、中国、香港、韓国などから来たとおぼしき客たちがほとんど例外なく質問の内容を理解し、指を使…

与那国の人が台湾にヒノキの山を持っていた

かつて台湾にヒノキの山を持っていたという与那国島の人が、出身地の祖納に建てた家には、レトロな風合いのタイルをはめ込んだヒンプンと塀が残っています。与那国島と台湾は最も近いところで111キロしか離れておらず、人々が頻繁に行き来した時代があっ…

歩道橋

平日の午前中。 那覇にあるセルラースタジアム前の歩道橋は、人なんかまったくいなかったのに、沖縄本島北部から学校のマイクロバスが停まって、子どもたちが降りてきて、歩道橋をいい具合に埋めていった。

好彩頭

「好彩頭」という縁起物。島に寄港する台湾からのクルーズ船のカジノで配られているものだとか。クルーズ船の乗客たちは、島ではよく知られた存在だが、船内でどんなふうに過ごしているのか私は知らない。「好彩頭」は船内の様子をイメージさせるアイテムに…

長く続けること

石垣市と台湾の蘇澳鎮が姉妹都市締結20周年を迎えた。自治体間の国際交流とはどうあるべきなのか。花蓮との交流が30年を超える与那国町のケースから何を学ぶべきか。

南方澳

台湾東部の宜蘭県蘇澳鎮に、冷泉を生かした高級リゾートがある。日本統治時代には、台湾と沖縄・八重山の間を結んでいた蘇澳の漁港「南方澳」も姿を変えていくことになるのか。時代は移ろう。とはいえ、豊かな海産物資源は南方澳の魅力であり続けるに違いな…

パインから見える石垣・沖縄と台湾

ドキュメンタリー映画「はるかなるオンライ山」が11月24日に台湾文化センター(東京虎ノ門)で上映されます。パイナップルを切り口にして八重山・沖縄と台湾の交流描いた作品です。

外国人が那覇市内でバスに乗った

外国人観光客が那覇市内の路線バスに乗ってきた。運転手の対応は?外国語って、どこまで必要なの?