「無言的山丘」
沖縄と台湾の関係を語るうえで欠くことのできない映画に1992年の台湾映画「無言的山丘」(王童監督、英題「Hill of No Return」)がある。邦題を「無言の丘」というこの作品では、金鉱として栄えた台湾北部の金瓜石やそのすぐそばで繁華街としても賑わった九份を舞台に、日本が台湾を統治していた当時の鉱夫たちの悲哀が描かれる。琉球から来た「富美子」という少女や「福祉課の金城さん」という人物が登場し、沖縄とかかわりが深いことでも知られるこの作品は、呉念真が脚本を担当したのだが、ストーリーの着想には今や「ネコ村」として高い知名度を誇る侯硐が関係していることを、呉念真自身が書いたエッセー「另一個九份(もう一つの九份)」で知った。
呉念真の故郷
侯硐は、基隆のすぐ東にある新北市瑞芳区(旧瑞芳鎮)にあり、もともと炭鉱の街である。石炭が割高になり、エネルギー源としての地位も下落していくにつれて、侯硐の瑞三鉱業も1990年に閉山したのだが、呉念真は1952年にこの村で生まれており、鉱山の盛衰を肌で感じながら成長してきたのであろう。「另一個九份」のなかで、呉は「侯硐は雨が多く、戻るたびにいつも雨が降っている」(赤字による強調は筆者)と綴りながら、かつての繁栄を取り戻せずにいる旧炭坑街で肺疾患を病みながら暮らす老鉱夫のことを書いている。
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では、「另一個九份」のなかで「無言的山丘」はどのように登場するのか。そこには、日本人の男女3人をめぐる伝説があった。
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※「另一個九份」は呉念真(2002)「台湾念真情」(麥田出版,台北)。本稿執筆には2014年2月発行の第2版18刷を使用した。原文は中国語で、本稿では拙訳を用いた。