最後の一館は台南に
2015年の台湾映画「我的少女時代」は台北で見てしまったが、せっかくならここで見れば良かったと悔やんだ。台南の映画館、全美戯院(台南市中西區永福路二段187號)のことである。手描きした映画の看板を掛けている映画館というのは、台湾ならまだまだ残っていると思い込んでいたのだけれども、全美が最後の一館だと知って、2015年暮れに確かめにいくと、手書きの看板が確かに掛かっていて、4枚のうちの1枚は「我的少女時代」だったのだ。
写真左端の「移動迷宮 焦土試練」は「メイズ・ランナー」(2014年、米国)。その隣にある「私的少女時代」の右に描かれているのはマット・デイモン。「絶地救援」は「オデッセイ」(2015年、米国)のことである。そして、右端の「高年級実習生」は「マイ・インターン」(2015年、米国)。ロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイである。
こういう看板を描くことを生業とする人は顔振発という方のみになっていて、その顔さんと全美の映画看板を中華航空の機内誌「Dynasty」の2015年12月号が特集していた(「電影海報畫師 影報人生」,pp58-61)。
シネコン全盛の中で
映画はシネコン全盛になったといっていいだろう。統計は知らないが、映画を見る場所の圧倒的多数がシネコンであることは分かる。筆者はシネコンの存在に批判的なわけではないし、もちろんシネコンで映画を見る。これまで台湾で映画を見た場所はすべてシネコンだ。
そうであればこそ、手書きの映画看板を今も描き続け、通りに向かって掛け続けていることに敬意を表する。「Dynasty」によると、全美の看板は3平方メートルの板を6枚組み合わせているというから、概算で縦5メートル、横3.5メートルというものである。この看板が4作品分あるので、24枚の板でこの壁面芸術はできあがっていることになる。
アナログ、ほかにも
全美にはほかにもアナログっぽいところがあって、それはたとえば上映時刻の表示板である。作品名を記した紙や上映時刻を表した数字の紙がセロテープで張り付けてあるのだ。いちいち人が手を掛けて上映の準備をしているところが汗臭くて好ましい。
顔さんは看板を一日半掛けて仕上げるという。これが早いのか遅いのかは分からないが、かつては7カ所もの映画館で看板描きを担当し、「寝るなんて贅沢なことだ」というほど多忙を極めたベテランのことだから、全盛期にはもっと早く仕上げていたに違いない。
コミュニティーの象徴
全美としては、顔さんの看板描きを一種の芸術ととらえ、そこに掲げている看板をコミュニティーの象徴に育て上げていきたいと考えているということだから、手描きの映画看板が通りを見下ろす風景というものはこれからも続くということなのだろう。
それだけではない。全美は顔さんに依頼して、映画看板を描く講座を開いており、学びにくる若者は百人を数えるそうだ。これがそのまますんなり後継者になるということはないにせよ、「この伝統芸術(=手書きの映画看板)にもう一度生命を吹き込みたい」という全美の目標は、その実現に向けた下地に少しずつ厚みが加わってきている。