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台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

小さな湾、急峻な島―固有名詞軽視(?)の台湾地図

与那国 八重山 台湾

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沖縄県公文書館で開かれている所蔵資料展「地図と絵図」

2016年6月17日、松田良孝撮影

 沖縄県公文書館を訪ねたところ、「地図と絵図」というタイトルで所蔵資料展をやっていた。沖縄県公文書館が所蔵する地図で沖縄の描かれ方を表現しており、小生は台湾と沖縄がどう描かれているのかに着目してみた。

「基隆」は「鶏籠」

 日本の海軍水路部が1895年4月29日に発行したという地図「日本自鹿児島海湾至台湾付近支那東岸」には、台湾の北半分が描かれている。海軍だからなのか、陸上部にはほとんど目配りがなされておらず、「台北」の表示さえない。

 海岸線をたどると、「基隆」という表記が登場する前の「鶏籠」の二文字を使い、「鶏籠港」「鶏籠河」「鶏籠島」などが見える。淡水はそのまま「淡水港」である。

地形重視?

 東海岸では、これまで筆者がずっとこだわってきた蘇澳鎮の南方澳に着目してみたが、「小湾」とあるだけ。その北側にあって、その独特な形状から「亀山島」と名付けられている島に至っては「陡島」と表記されており、つまりこれは「急峻な島」という意味であり、島の名前を示しているわけではない。固有名詞が不明であったとしても、船乗りにとっては風よけになるか、上陸かのうかといった点で陸地の形状こそが気になるわけかだから、理に適っているといえば適っている。南方澳に話を戻すと、名前はともかくとして、小さな湾がそこにあるというだけで、海軍はその辺りに着目する理由が出てくるというものなのだろう。

与那国島案内」は作成時期不明

 作成者も作成時期も正確には変わらない「与那国島案内」はなぞめいていて興味を引いた。

 公文書館が用意した展示説明は「与那国島の概要を地図と合わせて示し、名所や官公署の位置も記述している。作成日付はないが、『マラリア防遏所』が確認できることから、マラリア予防班事務所が改称された1926年(昭和元)以降のものと見られる」とある。

 私は地図作成時の島の交通について「基隆及石垣と三隻の発動機船を以て就航するも良港なきため出入自由ならず。危険不便此の上なし」としている点に注目してみた。『先島朝日新聞』は1935年7月6日付3面で「今日では四隻の発動機船が基隆と石垣とに連絡をとり、一週一度或は二度もあるので何等の不便を感じない」としており、1935年の時点では与那国島と基隆・石垣を結ぶ船は4隻に増えていたことになり、地図の作成時期は1926年以降で、1935年までとみることができるだろう。

植民地台湾に依存する島の姿、あらためて

 「交易」の欄では「基隆及石垣との間に行はれども呉服等を除くの外、日用品は殆んど基隆より移入す」とあり、ほかの文献からもよく知られているのと同様に、植民地台湾に依存する与那国島の経済構造が示されている。

 主要移入品は石油類、日用雑貨、船舶及船具、呉服、主要移出品は鰹類、豚、米。移出品に「米」を挙げていない資料もあることから、品目についてはさらに分析が必要といえそうだ。

 なお、主要産物としては次のように挙げられている。

  鰹節=22000貫、132000円

  鮪節=9000貫、31500円

  米=4246石、73394円

  甘藷=1375500貫、82530円

  豚=1194頭 23880円

10月9日まで

 沖縄県公文書館の所蔵資料展「地図と絵図」は2016年3月29日から10月9日まで。