すでにさまざまなところで話題になっている作品ですが、「太陽の子ウィーク」なるものがあるのだそうです。9月10日から19日まで。台湾映画「太陽の子」(原題「太陽的孩子」)は2015年10月に台湾で観ましたが、こんな作品ならいつかまた観てみたいと思っていただけに、「太陽の子ウィーク」は私も参加したいのですが、あいにくこの時期は日本を不在にしてしまうため、残念。
台湾映画「太陽的孩子」
観光化が進むアミ族の村
「太陽的孩子」の舞台は、台湾東部にあるアミ族の村です。深い山が海のそばまでせり出し、その海が濃い青に輝く、いかにも東部らしい風景がスクリーンに何度も登場します。物語の中で、村の子どもたちは、北回帰線を示す碑のそばで伝統的な踊りを披露し、中国大陸からやってきた観光客が人民元で支払うチップでおこづかいを稼いだしりしているのですが、台湾の観光施設で伝統的な踊りを見物した経験のある人は少なくないことでしょう。私もそのひとりです。
台湾東部は私も何度か訪れています。花蓮市内では、タクシーの運転手が「中国人の観光客が増えた」と話すのを聞いたり、以前泊まったことのあるホテルが中国資本に買収されたという話を聞かされたりして、中国人観光客や中国の存在を実感させられます。台湾政府交通部観光局の統計によると、台湾を訪れる中国人は2010年に163万人となり、日本を抜いて初めてトップになりました。2015年は418万人で、来台観光客の4割が中国人です。
Uターンしてきた主人公
台湾東部を走る列車の窓から山々と田植えの様子が見えた=2011年2月24日、松田良孝撮影
映画はその底流で、中国人観光客の増加と観光開発の結び付きを示唆しながら進みます。
アミ族の村出身の主人公は夫を早くに亡くし、台北のテレビ局で働く一方、娘一人と息子一人を郷里の父に預けています。この父が倒れたことを機に、彼女はテレビ局を辞めて帰郷することになり、物語が動き出します。戻ってみた郷里は、水路が荒れて米も満足に作れないようになっており、ホテルの開発話が持ち上がっていました。賛否をめぐってかしましく言い争う村人たちのなかで、主人公は自分の立ち位置を見極めようと行動を起こします。
水路の復旧を村びとたちに呼び掛け、水田に稲穂を実らせるところまでこぎつけるのです。収穫したコメはネット販売で売り出す計画です。
娘は都会へ
花蓮駅と山並み=2011年2月25日、松田良孝撮影
ところが、その田んぼに一角に駐車場整備に向けた測量が入り、重機が持ち込まれました。村人たちの抗議。抗議の人垣を排除する警察官たち。抗議の声をよそにじりじりと進んでいく重機の前に立ちふさがったのは、主人公の娘でした。かつて在籍していたテレビ局がその様子を報じたことで、コメの注文が伸び、間もなく完売することになります。
一方、娘のほうは、陸上選手としての素質を見いだされ、台北へ進学することになります。郷里とは対照的な大都会。戻ってきた母とその逆方向へ進む娘という、相反するベクトルが配置されるのです。田舎の人は所詮、その場で生き続けることはできないということなのか。それとも、娘もいずれは郷里に戻ってくることになるのか。ストーリーは駐車場計画の成り行きも、娘のこれからの成長も、どちらも示さずに幕を下ろします。
ただ、アミ族の伝統的な祭祀を、それだけは台詞抜きのドキュメンタリータッチで撮ったシーンで映画を結んでいるところをみると、作り手が田舎の人々に寄り添おうとしていることが伝わってきます。
田舎に普遍的なテーマ
無自覚でいると、かけがえのないものは簡単に失われてしまいます。
田舎と言われる場所はどこでも、きっと本作の「村」似たような事情を抱えていることでしょう。ホテルを建てる、ゴルフ場を造る、大規模な宅地開発を行う。そんな話が持ち上がるたびに、田舎の人たちは自らの立ち位置を確かめ、表明することを強いられる。ときには村人の間に深い亀裂も生まれる。そんな田舎の人たちの姿が本作の主人公にダブり、これは決して中国人観光客にまつわる話とか、台湾の原住民の今を描いた話とか、そういう括りでは理解しきれない作品だと気付くのです。