きょうの午前中、久しぶりにジョギングをしようとして外に出たら、春を思わせる陽気でした。あとで調べてみたら、気温は25度でした。
こういう天気になると、台湾の人たちは外にものを出して陽に当てる。私が台湾を好ましいと思う風景であり、こういう習慣を持っている台湾の人たちを好ましいと思う。スマホで何枚か写真を撮りながら、ここのところ抱えていた膨満感というか、胸やけというか、そういう好ましくない感覚がどこから来ているのか考えてみた。
台湾の新型コロナ対策に対する評価や、台湾のIT担当大臣に対する評価。
私は何度か違和感を覚えました。
台湾政府でITを担当するオードリー・タンさんは確かにすぐれた人物です。しかし、注目されるべきは、タンさんその人ではありません。タンさんのような人にそれなりの環境を与えたことがまず評価されるべきだと思います。この環境を与えたのは、直接的には台湾の蔡英文政権ということになりますが、もっと長い尺でみると、蔡英文や民進党に政権を任せている台湾有権者の選択であり、そのような選択を支えている台湾の民主主義です。蔡英文や民進党がすごいとかすごくないとかという問題ではなく、民主主義という方法の成熟の度合いにこそ目を向けるべきです。
台湾の新型コロナ対策に賛意を示すことは悪いとは思いません。ただ、いただけないのは、的外れな視点からIT担当大臣の日台比較をすることです。
高齢の人がIT担当大臣を務めることの、何が問題なのだろうか。IT音痴だって全然OKではないのか。たとえば、「IT担当大臣に任命されちゃったから、仕方なくガラケーをスマホに変えた」と言ってしまうような人であったとしても、IT担当大臣をやってはいけないということにならないと思います。頭のいい官僚や、すぐれたIT人材(日本の内外を問わず)なら、こういうIT担当相と同じような環境にある人たちに目を向け、知恵を出しあい、問題を解決してくれるに違いないからです。すぐれたIT人材は自分たちが持っている高度なスキルを独占するより、それによって社会を変えることを選ぶでしょう。高齢化が進む日本(日本以外のどこかでも同様)で、年齢と関係なくスマホが使える社会や、スマホに依存しなくても生きられる社会を実現するために知恵を出してくれるはずです。
私が着目するのは、そういうことをやりたい、やる必要がある考えた人がいたとして、それができる、実現できる社会なのかどうかという点です。世界にもうひとり、タンさんのような人がいたとして、日本政府がその人をIT担当大臣に任命したとしましょう。そのとき、日本もやはり、世界から注目されるような新型コロナ対策を打てるのかどうかという設問だと言ってもいいでしょう。
年齢にフォーカスして非難することは、高齢者を軽んじることにつながるし、IT音痴がITを担当しているといって非難することは、ITに対する習熟度ばかりを重んじる社会に通じます。どちらも、さまざまな価値観の併存を許さない危険な社会に道を開くものだと思うのです。