パイナップル
石垣島の伊野田公民館にあるトイレを見ていて、西表島の住吉公民館にある電話ボックスを思い出した。どちらもパイナップルの形をしていて、伊野田ではパインを横にしてくり抜いたところにトイレを設置し、住吉では縦にしたパインの腹のところに公衆電話が置かれていた。
入植の時期は伊野田が1951年、住吉が1948年。戦後の八重山移民としては早い段階に行われており、琉球政府が発足する1952年よりも前に人々は西表島へ、石垣島へと渡ってきたのである。
外来の人とモノ
亜熱帯のジャングルを切り開いて自分たちの畑を耕していった移民たちだが、沖縄の本土復帰前に起きたパインブームがその生活を支えることになる。もともと、八重山のパインは1930年代に台湾人が持ち込んだものだから、八重山の外からやってきた人たちが八重山の外からやってきた農作物によって生計を立てていたことになる。
外からやってきた人やモノが八重山の社会に大きな影響を及ぼした象徴的なケースが移民地のパインということになるのだ。パイン型のトイレや電話ボックスから、戦後八重山の足取りを透かして見ることができる。
鳥居の奥に巨木
伊野田公民館の鳥居をくぐり、奥まで歩いていくと、1960年建立の入植記念碑がある。そのさらに向こう側まで足を伸ばすと、岩を抱くようにして根を張った巨木に出会う。入植してきた人たちが開拓に傾けてきたエネルギーを感じる風景でもあるし、自然のほうがやはり強いと思わされる風景でもある。