曽根平治さんのこと
故・曽根平治さん、春子さん、長男の故・財得さん(左から)
=2002年4月15日正午ごろ、石垣市大川の曽根商店で松田良孝撮影
遅めの夏休みを取って船で台湾へ向かおうと考えていた2004年10月、ちょうど台風24号が発生してしまい、急遽、飛行機で那覇まで飛んでそこから引き返すようにして桃園に向かったことがありました。旅行のスケジュールはそれくらいの変更で済み、台湾での行程は予定通りに進めることができたのですが、気が重かったのはその直前に台湾出身の曽根平治さん(台湾名・曽平治)が亡くなってしまったということ。享年66歳。
当時の私は石垣島に住む台湾の人たちからお話をうかがうようになったばかりで、平治さんにはじっくりと時間を掛けてお付き合いさせていただきたいと思っていた矢先の出来事でした。
「曽根商店」を足掛かりに
末息子の曽根財成さんと夫の平治さんの写真が並ぶ仏壇を整える春子さん
=2016年8月7日午後、石垣市平得の曽根さん宅で松田良孝撮影
その平治さんと、同じ年に亡くなった末息子の財成さんの十三回忌の法要が、石垣市平得にある曽根さん宅で行われました。1カ月ほど前、平治さんの妻、春子さん(75)が何かのついでに知らせて下さり、私も末席に加えていただくことにしたのです。
曽根さんご一家からお話をうかがうようになったのは2002年のことですが、曽根さんはそのころ、石垣島中心部にあるアーケード街「あやぱにモール」(現在のユーグレナモール)に曽根商店という雑貨店を構えており、そこへ行くと、曽根さんご夫婦やその知り合いの台湾系の人たちに会うことができました。私はここへ通い、台湾系の人たちと少しずつ顔見知りになっていきながら、平治さんから、ときには春子さんからもお話を伺っていったのです。
人を結ぶ
曽根平治さんと末息子の財成さんの十三回忌の法要。中央は妻の春子さん
=2016年8月7日午後、石垣市平得の曽根さん宅で松田良孝撮影
台湾系の人たちが寄り集まっておしゃべりをしている場というのは、今もありますが、こうした空間では台湾語が当たり前に話され、私にとっては異空間にほかなりません。それが異空間だからこそ、突っ込んだ取材をしてみようという気になったということもできます。
こういう意味において、曽根平治さんは私に貴重な入り口を提供してくださったということができます。ようやく親しくなりかけたときに逝ってしまったのは、今もって悔やまれることですが、十三回忌に集まった方たちの表情に、自らの死を以て人を結ぶ平治さんのお人柄を偲ぶことができました。きちんとインタビューすることはできなかったけれども、取材はまだ続いているような気がするのです。