台湾沖縄透かし彫り

沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがあり、かつて石垣島から移り住んでいった人たちと足跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。

 沖縄を歩いていると、台湾のことを感じることがあります。とりわけ、石垣島などの八重山地方では、そのまんまの台湾に出会ってしまうこともあります。では、台湾へ行ったらどうでしょう。やはり、沖縄を感じることがありますし、石垣島の痕跡を見付けることもあります。だけどそれは、薄皮を一枚剥いだようなところに隠れていることがほとんどなのです。深く掘りすぎると、原形をとどめなくなってしまうかもしれませんね。元の姿をとどめつつ、だけど、内側に潜むものもちゃんと見える。そんな透かし彫りの方法で、台湾と沖縄を見ていきましょう。   松田良孝のページ | Facebookページも宣伝

蘇澳~与那国の船

 2023年7月4日、台湾の宜蘭県蘇澳鎮と与那国島の祖納港の間を船が往復した。
 このケースを、与那国島目線で見てみると、どんなことが言えるだろうか。
 戦後、与那国島と台湾の間を船が合法的に行き来するのは、終戦直後の引揚船を除くと、極めて稀なケースといえる。

「海続き」

 日本が台湾の統治を開始したのは1895年のことだが、その後、与那国島では、日本統治期の後半を中心に台湾を目指すことが当たり前になってゆく。学校での勉強、修学旅行、勤め先。目的はさまざまだ。そのうち、台湾に住み着く人が現われ、そこへまた島の人がやってくるのだ。

日本最西端の碑と西崎灯台=2021年9月20日沖縄県与那国町

 戦後の数年間は、いわゆる「密貿易」と呼ばれる人やモノの往来が続いた。陸続きならぬ、「海続き」の関係だ。さらに、台湾の戒厳令期には、「白色テロ」による迫害から逃れようとした台湾の人が与那国島に渡ったことが明らかになっており、台湾から脱出する「人権の道」としても与那国島は重要な役割を担った。

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 現在はというと、花蓮市との姉妹都市交流が40年を越え、日台間の姉妹都市交流として有数のスパンを誇るペアとなっている。新型コロナによって中断していた小学生のホームステイが今秋に再開する見通しとなるなど、歩みは着実だ。

 与那国島と台湾の関係は、台湾の社会的・政治的な立場や状況に呼応するようにして伸縮してきた側面が強い。ただ、地理的な近さは変えようがなく、お隣さんとしての関係は途絶えることはなかった。姉妹都市交流はその果実として教育交流を育んでいるのである。

波紋とエキス

 今回の航行は、日台間の国会議員の関係に基づいて実施されたと伝えられ、島の人たちの意向とは異なる次元で事が運んだという側面がある。姉妹都市花蓮との交流に取り組んできた与那国島の人たちの中には、「島の人たちがなんとか実現しようと頑張ってきた直航便がこんなにもたやすく実現してしまうとは」という無力感や疎外感を覚えている人もいるかもしれない。

台湾東部の南方澳漁港=2023年6月22日、台湾・宜蘭県蘇澳鎮

 島の人たちが、その時、その立場に応じて、台湾との交流促進に努めてきたことを思うと、その気持ちは痛いほどよくわかる。
 ただ、そう気を落とすこともないのではないか。敢えてそのように思う。
 中央レベルで大きな動きが起こると、その波紋が届くようにして島は影響を受け、ときにはエキスが滴る。今回の蘇澳祖納直航便についても、その波紋を受け止め、エキスを巧みにすくい取ればよい。

船とCIQ

 まずは船である。
 与那国~台湾間の直航を実現しようとする時、常に議論となるのは船をどこから調達するかである。スペックや装備が法令を満たす船は日本国内では調達しにくいという「観測」に似た話を聞かされることがある。今回の運航で使われた「南北之星2號」はどのような船なのだろうか。どのような事情で運航可能となったのか。この点を見極める必要がある。

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 もうひとつはCIQである。与那国島にこれだけの規模の外国人が上陸したケースは数えるほどしかない。2009年2-3月に空路のチャーター便で台湾から来島したケースなどがあるくらいだ。CIQの実績は圧倒的に少ないのだから、今回のケースを貴重な事例として記録し、島が主導して台湾向けに船を出すときの備えにしておくべきだ。

島の資源

 余計なことを書くようだが、もう1点ある。
 台湾で与那国島知名度が低いという現状に切り込むことだ。船や飛行機で結ばれていても、よく知らない場所が目的地だったら、乗ろうという気にはなりにくい。
 与那国島は台湾において「知る人ぞ知る」というポジションであろう。知名度はもともと十分とはいえない。近年、自衛隊の配備によって台湾でも関心が高まっているのではないかと思っていたが、「沖縄の自衛隊のことは関心が持たれているが、与那国島がよく知られるようになったわけではない」と話す台湾の人に出会った。自身の仕事で与那国島とかかわりのある人の言葉である。そういう人の見立てなので、素人の感想と片付けるわけにはいかない。

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 与那国島と台湾の地理的な関係は近い。これは誰にも変えようがない。島にとって唯一無二の資源だといっていい。日本統治期の台湾との往来や、いわゆる「密貿易」、さらに228事件や白色テロのなかで与那国島を目指した台湾の人がいたことなどは、伝え方次第では、島の人たちが思っている以上に台湾の人たちにキャッチされるだろう。「島の歴史」などというとハードルが高いだろうから、まずは島の人がそれぞれ、だれかから聞かされた昔語りでも思いだしてみればいい。
 今回の船の往来は、少し違う角度から島のことを見直すきっかけを与えてくれたといえるのではないか。