「ご飯を食べなさい」の気持ち
タンキーの言葉を授かりにやってきた人が祖先に捧げる紙銭を持ってやってくる。
タンキーの旗に「玄天上帝」とあるのは神の名前で、タンキーはその神意を伝える=28日
「タンキー」と呼ばれるシャーマンを何人も、身近なところで目にしたのは初めての経験でした。2016年8月の27日から28日にかけて彰化県田中鎮にある旨臨宮という廟で行われた普渡(プドゥ)というお盆の行事でのことです。
この廟がある辺りには、石垣島に住んでいる台湾人、曽根春子さんの親戚が多数住んでおられ、曽根さんご自身も台湾に里帰りして亡くなった家族や祖先のお弔いをなさるということなので、ご一緒させていただきました。近くには台湾新幹線の彰化駅があり、曽根さんは初めて台湾新幹線でふるさとにやってきました。
廟に集まっている人たちはほとんど台湾語を話しており、私には何を話しているのか分かりませんでしたが、「ご飯を食べなさい」という気持ちだけは手つきでちゃんと伝わってきました。台湾の、とりわけ田舎で集まりに加えてもらった時の感覚がこれなんですね。
神意を伝える
廟の周辺の辻々で、紙銭を焼く場所を指定していくタンキー。
付き従っている男たちは指示に従って燃やしていく=28日
旨臨宮に到着したのは、27日の夕方でした。廟の周辺に広がる畑や田んぼは暮れ始めていて、遠くに見える台湾新幹線(高鉄)の高架を窓に明かりをつけた列車が走りすぎていきます。もう、すっかり暗くなったころでしょうか。翌日、大量の紙銭を燃やすことになる廟の前の広場ではタンキーが指示する場所で男たちが幾束かの紙銭を燃やす儀式を始めました。廟の中でもタンキーがいて、1階では、お札のような紙に文字を書きつける作業を何枚何枚も続けています。このお札のような紙は、各人が廟に供える紙銭に添えつけられることになるものでした。
突然振る舞いが変化
「済公」になった女のタンキー=28日
2階では、女性のタンキーがいて、前に「佛」という縫い取りのある帽子をかぶって儀式を行っていました。これは「済公」です。この女性は翌日も「済公」として登場し、酒を飲んだり、哄笑したり、かと思えば、住民の話に真剣に耳を傾けて何やら言葉を授けたりといった具合でした。ただ、タンキーではないときには、普渡を手伝う女性のひとりとして作業に当たっているものですから、私のように慣れない者は面食らってしまいます。何がきっかけで「済公」になるのかは分からずじまいでしたが、見ていてはっきりと分かるほどに振る舞いが変化し、周りの人たちが、済公が着る白っぽい衣装を着せてやり、そうこうするうちに「済公」になってしまったのです。「済公」が降りてきたということなのかもしれませんが。
原風景
台湾新幹線の彰化駅は旨臨廟まで歩いて行けるところにあり、駅からその周辺にある畑や田んぼを眺めることができます。ほぼ1年ぶりの帰郷となった曽根さんは、石垣空港から飛行機で桃園機場に到着した後、台湾新幹線の桃園駅から彰化駅にやってきたのですが、そこから見える光景に「懐かしいねぇ」と言いました。この懐かしさとは、単に駅から見える景色のことを言っていたのではない、と今になって気付きます。お盆の行事に何人ものタンキーが登場する様も、曽根さんが言う「懐かしい」景色のなかに組み込まれていた。石垣島にやってきた台湾人の、これが台湾という原風景なのだと思う。