「ちゅらさん」第7週「迷子のマブイ(魂)」38回で気になるやり取りがあった。脚本家は、沖縄を特別な存在として描こうとしたのか、それとも、どこにでもある日本の「いなか」のひとつとして描こうとしたのか。
私は「ちゅらさん」の前と後を、実際に石垣島で暮らした。だから、テレビドラマで表現される沖縄や八重山と、実際の姿を比較しながら、あれこれ考えることができる。そこに八重山に対する認識が生まれる。観光地としての立場を確立した石垣島ができた後、石垣島にやってきた人たちとは明らかに違うし、先祖代々からずっと八重山人という人とももちろん違う認識ということになる。
「ちゅらさん」はおもしろい。私と八重山の観光を教えてくれるし、ほかのだれかの「八重山認識」とのギャップにため息もつかせてくれる。
=2021年9月、与那国島の海
さて、気になったそのシーンとは、沖縄から上京してきたエリイが、アルバイトをしている沖縄料理店の通帳をなくしてしまい、うなだれて店に戻ってくる場面だ。
エリイ「(通帳を紛失したのは)私の不注意です」
メルヘン小説作家の真理亜さんが店内にいて、エリイに訊く。
真理亜「でもさ、お金ほっぽって、何やってたのよ」
エリイ「え?」(力なく振り向く)
真理亜「いいけどね」(突き放すように)
さらに続けて
真理亜「『沖縄だったら盗む人いないのに』って、言わないんだ」
エリイ(首を振りながら)「そんなのこと、思ってません」
真理亜(エリイの言葉を意に介さず)「帰る?」(ずばりと切り込むように)
真理亜(少し間を置いて)「沖縄に」「そのほうがいいかもよ、あんたは」
店長が割っている。いつもの柔和なニュアンスを消し、真理亜さんにきびしい口調で「やめなさい、これは、おれと絵里ちゃんの問題だから」
真理亜さんは、あきれたようなしぐさ
店長「えりちゃん、仕事に戻って」
エリイ「あの、お金、働いて、かえさせてください そうさせてください」「わたしのお給料じゃ、全然足りないと思うけど」「お願いします」「ぜひ、そうさせてください」
店長「うん」
真理亜(嘲笑気味に)「当分、帰れないね、沖縄には」
うなだれて仕事に戻るエリイ
店長はその姿を目線で見送り、真理亜さんに向かい、あらたまった口調で「マリアさん、あなたはね、とってもきれいで、頭もよくて、きっと才能もある素晴らしい女性さ」
真理亜「は?」(困惑の表情)
店長「でもね、そうやって人をいたぶってかっこいいと思ってるところがあるよね、それは嫌いだね、やめなさい、わかった?でないよね、おれ、あんたのこと、嫌いになるよ」
真理亜(何かに気付いたように表情をあらため)「すいません」(手をそろえて頭を下げる)
店長「わかればいいさ」
真理亜(しかし、再びいつもの強い調子に戻り)「ていうか、なんであたしが謝るの?」
店長「は?」
真理亜「あたし、べつに嫌われてもいいんだけど」
店長「そうだよね」
真理亜「そうよ」
すれ違う「沖縄」
このやり取りで気になるのは、マリアさんと店長の会話だ。マリアさんは「沖縄」というフレーズを蔑みと絡めながら使っている。これに対して、店長は「沖縄」云々とは言わずに、マリアさんのやり込め方を挙げて、「嫌いだ」と言っている。
テレビを放送する側が「沖縄差別」を巧みに避けようとしたと考えることもできるが、私の見方はちょっと違う。本土で沖縄の人が商売をしていくうえでは、「被差別」の感情を呑み込むことによって顧客との決定的な対立を避け、感情を異化して、人としていかに生きるべきかを吐いたのではないか。
イメージ
それともうひとつ。
今、都内にある沖縄料理店で飯を食おうという客が、アルバイトの店員に「沖縄に帰ったほうがいい」とは言わないだろう。「国へ帰れ」というフレーズは「勉強して出直してこい」という意味だから、状況に合わせて使うことはOKだ。しかし、個別具体的な地名を挙げて、たとえば、「山形へ帰れ」とか、「わざわざ東京くんだりまで出てくることもあるまい。埼玉でおとなしくしていろ」とかいうのはNGである(ちなみに、私は埼玉出身で、両親は山形県出身である)。カスハラや、出自にまつわる差別につながりうるからである。
さらに加えると、観光地としての沖縄のイメージは今やそんなに悪くない。「ちゅらさん」のなかでも。エリイのニーニーが「沖縄に来る観光客は300万人」というセリフを語り、だから「ゴーヤーマン」の売れ行きは明るいという甘い見通しを語る場面がある。その観光客も1000万人がどうこうと言われる時代になっているのだ。